こもごも雑記
「二条城から帰れない」

 私は徳川家康のことが、ほんのりと嫌いだ。それには理由があって、私は長野の真田ゆかりの地で生まれ育った。真田昌幸が築城した上田城には子供の頃から遊びに行っていたし、攻めてきた徳川の大軍を撃退したことも親に聞かされてきた。ドラマをほとんど見ない私が、毎週欠かさず大河ドラマ『真田丸』を視聴していたくらいには郷土愛がある。

 ほんのり徳川嫌いでうっすら東軍アンチの私が京都に行ったのは5月のこと。徳川家康が築いた二条城に近いホテルに泊まったことから話ははじまる。

 ホテルをチェックアウトしたあと、ふと二条城のポスターを目にして、行ってみるかと思った。背負っているバックパックは重く、持ち歩くとじわじわと体力が削がれる。体力はできるだけ温存しておきたい。ということで場内に入り、荷物を預けるためにコインロッカーに立ち寄る。

 ロッカーは有料で、休憩スペースの一角に置かれていた。荷物を押し込んで鍵を閉めたあと、ロッカーの下側から先端にバックルが付いたベルトが垂れ下がっていることに気がついた。バックパックのものである。しまった。しかし、バックルをしまうために開ければ、再度お金を支払わなくてはらない。下段のロッカーを使う人がバックルを挟み込むという最悪の想定もしたが、おそらくそうはならないと判断し、私は城内を巡ることにした。

 二条城は広い敷地の中に御殿や庭園がある。それはもう私の地元の上田城とは比べ物にならないくらい豪華で壮大だ。 そのなかにある二の丸御殿は大政奉還の舞台にもなった場所で、内部が見学できるようになっていた。靴を脱いであがり、まず目に入ってくるのが「遠侍一の間」などの襖に描かれた虎の絵である。よく見ると虎の中にちらほら模様が異なる豹が混じっていて、なんで?と疑問に思い説明書きを読むと、豹は虎と同じ生き物だと当時考えられていたと紹介されていた。
 見どころ満載で、人が歩くたびに軋んできぃきぃと音を立てる鶯張りの廊下を進み、ぐるりと一周まわって外に出た。

 しっかり城内を巡り、さぁ帰ろうかとコインロッカーの前に立った時、恐れていた最悪の事態が目の前で発生していることに気がつく。そう、下段のロッカーにバックルが挟まれていて、引っ張ってもまったく抜けないのである。こ、これは︙︙! どうしよう、どうしよう、内心めちゃくちゃ焦っているが、落ち着くために近くの椅子に腰掛け、某名探偵並みに考えを巡らせる。係員に相談するか、待つか。ロッカーを使っている人はそんなに遅くならず帰ってくるのでは? たっぷり見たとしても2時間くらい。最悪、閉門する夕方までには帰ってくるはず︙︙。私は待つことを選んだ。

 ロッカーが見える位置にあるソファー席に陣取り、そこに近づく者があれば凝視した。もはやちょっとした不審者である。しかし事情が事情なのでしかたがない。ロッカーを置いた空きスペースにガチャガチャコーナーもあり、子供や外国人が頻繁にやってきてとても紛らわしい。

 張り込みを開始して1時間ほど経った頃、その瞬間はついに訪れた。下段のロッカーを使っている人物が現れ、ロッカーが開いたのである。あなたを待っていた!と飛び跳ねてハグをし、一緒にダンスしたいぐらいうれしいが、奥歯で喜びを噛み殺し、極めて冷静な人間を演じる。その人が去ったあと、ささっとすぐさま近づいて上段のロッカーを開き、バックパックを救出した。ロッカーを使う人が現れてまたベルトが挟まれたら、こんどこそ本当に、二条城から帰れなくなってしまう。

 よく確認して鍵をかけることがなによりも大切だと思い知った。もうこんな経験はたくさんだ。やはり東軍より西軍、徳川より真田、二条城より上田城、ということなのだろう。おのれ、徳川! 私はバックパックを背負い、しっぽを巻いて二条城をあとにした。
(文/山岡ひかる/2023.7.6)