からの週末2020620(土)
駒澤三茶慟哭事件

▼今週は、はじまりの話を▼プロ野球がついに開幕した。僕が好きな阪神タイガースでいうと、開幕戦は<マジかよ!>と天を仰ぐ逆転負けだったけれど、とにもかくにも、開幕したっていうのがうれしい▼そういえば、昨日の逆転負けで阪神の通算敗北数は、なんと5005。野球は負けることが許されるスポーツと言われることもあるけど、5005敗はすごい。でも、まさにそのことが僕が野球を好きな理由だと思う。だって、これを書いているいま、120試合(今年は例年の143から試合数を減らして、クライマックスシリーズも開催しない)もあるんだから1敗ぐらいたいしたことないさとかウソぶいてるし。ちなみに、宿敵読売ジャイアンツは昨日の逆転勝ちで通算6000勝を記録した。それはそれでやっぱりすごい▼自分自身が<コテンパンに負けたなぁ〜!>と痛感したのはいつのことだろう? THA BLUE HERBの名曲「未来は俺等の手の中」のパンチラインでいうと<このままじゃついに膝から落ちそうだ>とばかりに心が折れそうになった瞬間はいつだろう? いま、パッと思い出したのは駒澤三茶慟哭事件だった▼当時の僕は、5年間ほど裏方として活動していた劇団が解散し、ライター(見習い)だった。まだカッコ付きで堂々とライターと名乗るほどのもんじゃないレベルだった。28歳で、なかなかの大人で、なかなかにもかかわらず慟哭したのはなぜだったか?▼お世話になっていた編集者の先輩が駒澤に住んでいたのだけれど、その人の言葉に打ちのめされ、駒澤から自分が住んでいた三茶まで泣きながら、というか嗚咽がとまらず、<声を立てて泣き悲しこむこと>、つまり慟哭しながら歩いて帰った。一緒に住んでいた彼女に慟哭顔は見せられぬとゲームセンターで小一時間ほどつぶして帰宅すると「なんかあった?」と一瞬でバレたのには苦笑いだったけれど▼きっかけは企画書だった。今の若手ライターはどうやって仕事を獲得していくんだろ? 僕の若手時代は企画書一発だった。そうじゃない若手もいたとは思うけど、少なくとも、ただの1本もレギュラー仕事がなく、駒澤の先輩のアシスタント業でもらえる月5万円が収入のすべてだったその頃の僕は、企画書を書いて、書いて、とにかく書いて、とにかく仕事が欲しかった▼いま思えば駒澤の先輩は機嫌が悪かっただけかもしれない。先輩は10枚ほどの企画書(いくつも書いたうちのベストセレクション10企画だ)を「つまんねぇ」と投げ捨てた。宙に舞う10枚ほどのA4サイズの白い紙。実は先輩の言葉は記憶に定かじゃなく、「つまんねぇ」じゃなくて「なんだこれ?」だったかもしれないし、無言だったかもしれない。とにかくまぁ、そのような言葉か無言のあとで、宙に舞った白紙たちのことのほうを鮮明に覚えている。映画のようなスローモーションだった。拾いながら、もう涙目だったと思う▼あれ? また話が逸れた。はじまりの話だったのだった▼でもまぁ、結果的にだけど、ライター業はじまりの話ではあるのか。というわけで、続けます▼書くことで思い出してちょっと不思議な感じがしたのは「先輩は機嫌が悪かっただけかもしれない」とするだけで、その企画書がつまらなかった可能性には考えが及んでいないところだった。実際にその企画書がクソほどツマんなかったから先輩がそのようなことをしたかもしれないのに▼これには理由がある。その後、同じ企画書を別の出版界の先輩に見てもらったところ「ちょっと待っててね」とトイレにその企画書を持ち込んでこもり、10分ほどして出てきたのだが、興奮したのかズボンを下げたまま、つまりパンツ一丁で「唐澤くん、この企画書全部おもしろいよ!」と絶賛してくれたからだった。繰り返しになるが、当時の僕は28歳。そんななかなかの大人のさらに年上の先輩がパンツ一丁って!と衝撃的だったけど、うれしかった。▼ほどなくして、パンツ一丁先輩=Uさんの編集プロダクションに3年ほどお世話になり、ライターとしてだけでなく、編集業務のいろはまで様々なことを教わった。いまでも出版界の師匠として尊敬している。なかなかになかなかな借金を姉貴が作らなかったら、Uさんの事務所で働き続けていたと思うけど、それはまた別の話(唐澤和也)