からの週末2020614(日)
ラッパーに必要なのは共感じゃなくて衝撃
▼今週は、共感について考えちゃったりなんかした週だった▼2年ほど前のこと。BAD HOPのMCであるT-PABLOWの「ラッパーに必要なのは共感じゃなくて衝撃」的な言葉にかなりの衝撃を受けて、とっても共感したのだが、なぜだか<ラッパーに限らずすべての表現にも通じるのかもなぁ>とふと思い出したり、分厚くて難しそうで挫折しそうだけど「反共感論」(ポール・ブルーム著)を読み始めたりしている▼ラップといえば、今日出かけにチラ見していたNHKの番組によれば、万葉集のユリの花をテーマにしたその歌は〝即興の妙〟が素晴らしいそうだ。フリースタイルラップと万葉歌人の歌詠みに即興という共通点があったことに膝を打つ。そういえば、落語にも三題噺という客席から3つのお題をもらって即興でお話を演じる芸があるし、日本人ってやつは、アドリブ芸に昔からニーズがあったのだろうか?▼いや、おそらく日本に限らず、たとえばアメリカでも芸というもののアドリブ性への評価(あれがアドリブってすごい!とか)というのが、観客の生理としてそもそも高い気がする。ジャズのインプロヴィゼーション(即興)が発展した背景にあったものとかも調べたらおもしろそうだ▼ところで、ユリの花を即興で詠んだその歌が気になったので耳から入った情報〝ヤカモチ〟をヒントに検索してみたらこんな歌がヒットした▼油火の光に見ゆる吾がかづらさ百合の花の笑まはしきかも(大伴家持)▼いまさらだけど、すげぇな、インターネット。ヤカモチとユリでこの歌までたどり着けるとは。あと、嫌味な名前だなぁ、ヤカモチ。家を持ってるって、自慢ですかと。歌の意味は、私がつけた百合の髪飾りが油火の光に輝いていて、とても微笑ましいことですね……らしい▼いや、らしいじゃないし。「共感」の話だったのだった▼なぜに「共感」に興味を持ったかというと、2010年より本格始動したインタビュー企画の取材が今週あったからだった▼あれから、もう10年か。その企画は、初期は年に4回、最近でも年に2回のインタビューを積み重ねてきており、とはいえお相手が忙しい方なので、毎回のインタビュー時間は60分厳守で続けてきたのだが、長く続けてきて思うところがあり、今回から余談10分をプラスさせてもらうことにした▼余談とか言いつつ、次回インタビューのテーマのヒントになればなぁと「××ってどう思います?」的なラフな問いかけをしたトピックスのひとつが「共感」だったというわけ▼このプロジェクトに限らず〝自分の興味があることをインタビュイーはどう感じているかを問いかける〟というインタビューをすることが僕にはある▼共感、別名、同調圧力とも言えるのでしょうか? コロナにまつわるエトセトラな時期だからこそよりいっそう感じるかもだが、ここ最近、共感ってしんどいなぁという感覚が個人的にあった次第です▼さらに、たまたま別の興味で読み始めた内田樹さんと娘さんの往復書簡本「街場の親子論」でも「共感」にまつわるトピックスがあり、そんなシンクロニシティもうれしかったので「共感」については、もうちょっと考えてみようと思う▼最後に、めんぼくない話を▼重ね重ね、こんな時節に仕事があるのは本当にありがたいと感謝しつつなのだが、身体が完全週休二日制に完璧に慣れてしまったご様子▼完全週休二日制時代の4月と5月は「もっと働きてぇ!」とか思ってたくせに、めんぼくない。先週末と今週末、土日も出社で言わば週働七日制ではあるのだが<休みてぇ!>と心身ともに叫んでる。しかも、けっこう大きめの声で。なんだったんだろう、あの「もっと働きてぇ!」は▼人間なのか、僕だけなのか、本当にわがままだなぁと思うが、無理が効く年齢でもないので今日は早めにあがりまーす▼それはそうと、なぜにPunch Line Production(パンチラインプロダクション)という屋号にしたかも書いておきたかったが、さすがに長くなりすぎるので、続きはいつかの週末に(唐澤和也)