からの週末20220613(月)
おばあちゃんの梅干し

▼梅子さんと梅助さんが我が家にやってきた。とはいえ、親戚のおじいちゃん、おばあちゃんではない。大後輩Jくんが手がけている、「これさえあれば誰でも簡単においしいやつが作れちゃう」という梅干しと梅酒のキットだ。日曜日の昼に梅酒(梅助)を作って、同日夜に梅干し(梅子)を漬けてみた。梅助は今年デビューの新商品だけれど、梅子は何シーズン目だろう? 個人的には3年目なのかな。すっかりこの時期の季語のような存在になっている。東京は梅雨入りしたのかと思えば、ここ数日ど快晴だけれど、Jくんの梅が届くと梅雨入りが近いことを感じさせられる▼東京生まれヒップホップ育ち、ではなく、東京生まれ落語育ちという、オールドスクールな若者であったJくんは、大学時代に太鼓も叩いていたらしい。粋でいなせで、うらやましくなるぐらいのザ・江戸っ子。そんな彼が梅干しに興味を持った理由のひとつに「おばあちゃんの梅干しへの憧れ」があったのだそう。帰る実家もなく、おばあちゃんの梅干しを食べた経験もないからだと言う。梅干しまで特化するのは珍しいけれど、たしかに、東京の人は帰る田舎がある我々地方出身者を心底うらやましがるタイプが多い。まぁ、地方出身者にもいろんなタイプや、その人の時期みたいなものがあるから、必ずしも帰省することが楽しいわけじゃない。実際、私の大学生時代は父親との微妙な関係性もあり、盆と正月が憂鬱だった。というか、悪循環だった。田舎に帰る。家にいてもやることも話すこともないので、地元の友達と夜通し遊ぶ。明け方に帰る。父、徐々に機嫌が悪くなる。ますます家にいずらくて友達と遊ぶ。父、完全に機嫌が悪くなる。『悪循環』という教科書があったら、かなりの好例として紹介されてもおかしくない、きれいな悪循環だった▼だがしかし、そういえば、私には帰るべき田舎はあれど、おばあちゃんの梅干しを口にした記憶がない。もっといえば、おばあちゃの手料理の一切を口にしたことがない。父方の祖母祖父はふたりとも早くに亡くなっているから、そもそも触れあったことがなかった。母方の祖母は、以前もこの連載で書いたことがあるけれど、なかなかの剛の者で、ざっくりと言うと女手ひとりで私の母を育てた。つまり、私からすると祖父という存在を知らない。言わば、新手のおじいちゃんロスだ。ロスの意味が変わっちゃってるけども▼はてさて、記憶をたどってみると、おばあちゃんと同居をしたのは、おばあちゃんがかなりのおばあちゃんになってからだったので(つまり高齢)料理をする気力がなかったのかもしれない。でも私は、そうじゃないとふんでいる。たぶん、おばあちゃんは料理が嫌いだったのではないか。そう妄想するのは、母親の手料理がまだ私が子供だった頃は、それはもうひどかった記憶があるから。ある時など、プッチンプリンがプッチンされて、つまり開封されて他のおかずと一緒にラインアップに加えられていた。当然ながら、やわらかいそのデザートはぐちゃぐちゃになって原型をとどめるはずもなく、ほかのおかずはすべからくプッチンプリン味だった。せめてプッチンせずに別腹的に添えてくれよと子供ごころに思ったが、でもなんだかおもしろかった▼母の名誉のためにちゃんと書くと、いまの彼女の料理はかなりおいしい。父の高血圧を慮ってびっくりするぐらい減塩の時もあるけど、それを気にしないで作ったらかなり上手なほうだと思う。舌の記憶で振り返るのなら、私が大学の頃から母の料理は上達したような気がする。高校を卒業した私は東京に出ていったし、姉は早くに結婚して家を出ていた。つまり、子供に手がかからなくなってから、時間ができて、努力を重ねて、おいしい料理が作れるようになったのだと思う▼ではなぜ母は、私が小さい頃は料理が下手だったのか。たぶん、おばあちゃんが料理をするのが嫌いで、母親の味というのを知らずに育ったからではないか。そんな妄想を抱くのは、私と祖母との思い出がリンクしている▼剛の者だったおばあちゃんと私には、ふたりだけの秘密の思い出がある。秘密というか、不思議というか、奇妙というか。とにかく変な思い出で人によってはトラウマになるかもしれないのだけれど、かつて少年だった私はその時もいまも決して嫌な感情を抱いていない。なんといえばよいのか。狂っているからおもしろいという〝一周した笑い〟といった感性をその頃は知らなかったけれど(だって子供だから)、あれはたしかに、一周した笑いだった▼突然に、おばあちゃんは言った。「和也くん、人間は簡単に死ねるんだよ」。たぶん、小学校2年だか3年だかだった私は、その言葉の意味はわかったと思うけれど、なぜおばあちゃんがそんなことを言うのかがわからなかった。だから、『生返事』という参考書があったら確実に引用されるであろうレベルの正しい生返事をした。すると、おばあちゃんはこれまた突然にビニール袋を頭にかぶるではないか。首元を自分の手でしめて、空気が入らないようにしている。のちに、映画『闇金ウシジマくん』の拷問シーンで同様の場面に遭遇したが、ヘコヘコと呼吸の度にビニールが上下しはじめた。死んじゃう。そう思った瞬間、少年私は、爪を立ててビニール袋を破り、おばあちゃんの口元をぱっかりと開いた。おばあちゃんと目があった。ヘコヘコしない、息がちゃんと吸えるおばあちゃんとだ。人間は簡単には死ねない。おばあちゃんがそう思ったかどうかは知らないけれど、かぶったビニールをゆっくりと脱ぎ去りると、おばあちゃんは何事もなかったようにこう言った。「さてと」。おばあちゃんが帰って行った別室からは、タバコの匂いが漂ってきていた▼その時はさすがに笑えなかったと思うのだけれど、少年私はあまりこの出来事を深刻に捉えなかった。事実、両親のどちらにもこの話をしたことがない。でも、いまもそうなのだけれど、あの時のおばあちゃんの「さてと」を思い出すと、どうしても笑ってしまうのだ。なんだったんだろう、あの時のおばあちゃんのあのパフォーマンスは。そして、子供のくせになに冷静に対処してんだよ、私。まぁ、いま思えば自力でビニール袋を押さえても空気は漏れ入ってくるし、私がなにをしなくても大事には至らなかったかもしれないけれども。でも、おばあちゃんが「さてと」と戻っていった部屋からタバコの匂いがした時に、あぁもう大丈夫とひどく安心したことを覚えている。私はおばあちゃんが大好きだった。彼女の手作りの梅干しはひと口たりとも食べたことはないけれど(唐澤和也)