からの週末20220528(土)
246が渡れない

▼渋谷の246が渡れない。道を渡れば目的地はすぐそこだというのに。いつから渋谷は迷路になったというのか。ハチ公方面を背中にして、左側を走っていったら通行止め。じゃあっていうんで、信号を渡っての右側を走っていったら「こっち通り抜けられないっすよ」とガードマンのお兄さんが教えてくれた。その日は朝から雨だった。時刻は約束の金曜日午前10時。忙しいであろうその人との待ち合わせがその時間だった。インタビューの現場である。まずい。小心者ゆえに10年に1度ぐらいしか遅刻しないが、20年前の大遅刻で東京駅についていなきゃな時間に三軒茶屋の自宅で目が覚めた瞬間ぐらい焦る。キュイーーーンとスロットの始動音のようなノイズが耳元に響く。実際は鳴っていないのに、キュイーーーンという電子音が鼓膜を揺らし、やがて心臓に届き、結果、焦る。なのに、渋谷の246が渡れない▼焦って走って汗をかきながら今日の仕事のプロデューサーJくんの携帯を鳴らす。Jくんはすでに現場入りしていることだろう。「ごめん! 246が渡れない!」「はい?」「ごめん! いや、もうすぐなんだけど」「なに言ってんですか?」「ごめん! あと5分でなんとか!」「唐澤さん、僕、Jですよ」。知ってるよ。だから遅れるって電話してんでしょうが。こちらが息を切らせているせいで言葉が聞き取れないのか、なんだか会話が噛み合わない。さっきの「はい?」にいたっては、完全に(なに言ってんだこいつ?)の短縮系なトーンだった。私は息を荒ぶらせて続ける。「いや、だから今日の10時からの取材! 5分遅れるって先方の方に謝っておいて!」。その言葉に電話の向こうのJくんの反応が変わった。「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」。その〝あ〟が名優が流す涙なのだとしたら、これぞ号泣という類の止めどなく流れる怒涛の〝あ〟。涙が止まらないかのように、あが止まらない。しばらくしてから、Jくんが「あ」ではなく言葉で続けた。「すみません! 完全に今日が昨日でした!」。(はい?)と、なに言ってんだこいつ返しをしたかったが、こちらも絶賛遅刻中なので、そんな余裕などない。「すぐに行きます!」。Jくんの最後の言葉を半ば聞き流しつつ、走りながら私は気がつく。Jくんもやりやがったなと。遅刻だなと。きっと、Jくんの耳元にもキュイーーーンと実際には鳴っていない電子音が鼓膜を揺らしているのだろう▼がっと階段を上がって歩道橋をヨタヨタと疾走し、ようやく246を渡ることができた。どうにかこうにか約束の場所に辿りついた時、時刻は10時5分。鼓動と汗が止まらない。約束の場所はカフェ兼会議室のようなところだったから、もし入店前に体温測定があったらおそらくは入店できなかっただろう▼体温測定はなかった。そして、その人はやさしかった。こちらの遅刻を笑って許してくれ、流れる汗をカフェによくあるちっちゃなナプキンを何枚も使って拭き取る私が落ち着くのをこれまた笑って待ってくださった。Jくんもほどなくして大謝罪とともに現れたが、ふたり揃って本当にすみませんでした▼10年ぶりの遅刻をしでかしたことに大反省した金曜日の夜、久しぶりに12時間寝倒した。〝願うことが叶うこと〟と教えてくれたのは私の師匠だが、今年の願い=旅が叶いまくっている。周防大島、気仙沼、高知県。高知県にいたっては、2年半ぶりにキャンプまでできるという、なんだあのうれし懐かしな感覚は。初日のテント泊など、雨に降られて、トイレに行くためにレインウエアに着替えるめんどくささもあったというのに、ずっと笑っていた気がする。とはいえ、体力的には削られていて、だからこその12時間睡眠だった。12時間といってもマルっとではなく、就寝から7時間後ぐらいに一度起きてトイレに入ったのだが、そこからの2度寝が最高だった。12時に歯医者の予約があった程度で、午前中にトゥドゥはない。ならばと目覚ましもかけなかったのだけれど、ふっと部屋に入ってきたそよ風の心地よさに自然と目が覚めていた。11時だった。風が入ってきたのは、1度寝から起きた7時にメインの窓を開けて寝ていたからだと思う。それから4時間も寝ていたことへの驚きと、これで起きてなかったらまだまだ寝てられたなぁという寝ることが好きすぎることへの呆れと、11時に起きてなかったら歯医者をすっぽかしていたなぁ、もしかしてそよ風が起こしてくれたのかなという、おっさんには不似合いな思いに(詩人かよ!)とツッコミつつもご機嫌で目覚めたのでした(唐澤和也)