からの週末20220519(木)
祝いと呪いは紙一重?
▼2022年現在、この令和の時代で、もっとも嫌いな言葉はなにかと問われれば「予祝」と答える。一般的にはあまり知られていない言葉なのかもしれない。たぶんに個人的な解釈も含まれるが、豊作でありますようにと願うのではなく豊作でしたと願いが実現しちゃったものとして、お祝いの予行演習をするということ。それにより、夢を実現する確率があがるという慣習だったり、イズムだったりするようだ。どうでしょう? 知ってましたか? 知らなかった方が〝一般的〟かどうかはともかく、予祝を知らないということは少なくとも阪神ファンではない▼あれは、プロ野球開幕前の春。この予祝ってやつを阪神の矢野監督がやってしまう。正確にいうと、予祝の効果を説いていた矢野監督のイズムにのっかって、一部の選手の音頭で予祝決行。シーズンが始まる前に優勝したていで矢野監督を胴上げ。そんな報道がメディアにのっかってしまい、阪神ファンの知るところとなる。私もそのひとり。予祝ってやつをはじめて体感した瞬間だった。その予祝に嫌な予感がした▼実は矢野監督、この予祝以前にプロ野球界前代未聞の「今年で監督辞めます」宣言をしちゃってもいた。個人的にはナニそれ、意味わかんないんだけどと思った。勝ち負けを競うプロの世界で、闘争心のかけらもないことを堂々と宣言された日には、選手もコーチも戸惑うだけ。なにをどう考えてもプラスがないんじゃないのと感じたからだ▼でも、まぁ、な、と。これから長いシーズンを応援するには、指揮官のこの判断も尊重しなきゃな、と。そんなわけで、無理矢理にプラスを探したら、なにかと外野の声が大きい阪神タイガース。そんな人気球団を率いるボスである矢野監督が、辞めます宣言をすることで、外野の声に左右されず自分がやりたい野球をできるのなら。それはプラスかもしれないなぁとやや無理矢理にでも納得させようとしていた▼でも、予祝は嫌な予感しかしなかった。なんでだろう。しばらく答えがでなかった。阪神が負けるたびに、ということは、かなりの回数ということだが、なぜ予祝嫌派なのかを考えたことになる▼ところで、締め切りってビバだ。ビバ締め切りだ。締め切りが、阪神と矢野監督と予祝について書けたらなぁという漠然とした思いを具体化してくれた▼予祝などという言葉を知らなかった中学3年生の頃の私。実は、毎晩寝る前に予祝をしていたのだった。それは、当時所属していた長距離継走部が県大会出場を決めた頃からのルーティンだった。朝練、放課後の練習、実際の会場へバスで遠征しての試走。たいがいの夜は疲れ切って寝てしまうのが常だったけれど、眠りに落ちる前に、県大会で優勝して賞状をもらうシーンを毎夜毎夜、練習していたのだ。右から手を出したほうがいいかな? それとも左かな? いやいや両手いっぺんに出しちゃうっていうのもあるぞ。私はそのチームのキャプテンだったので、優勝すれば賞状を受けとる立場ではあったけれど、ニヤニヤしながらそんなシミュレーションを繰り返した行為は、いまにして思えば予祝だった。そして、実際に優勝した。ただ、本番の走るという行為よりも多くの選手たちの前で表彰されるという行為に緊張したからか、あんなにシュミレーションした賞状を受け取る場面のことは一切覚えていない▼となると、私は予祝の効果を体感しているわけで、予祝そのものが嫌いというわけではないことになる。ではなんだ? なぜにあの報道に嫌な予感がしたのか?▼かえすがえす、締め切りってビバだ。迫りくるそれが締め切りが教えてくれた。キーワードは、内に秘めるということ。中学生の私は、寝る前のあの予祝を誰にも話さなかった。自分だけの密かなお愉しみだった。もしも、矢野監督と阪神タイガースの胴上げが報道陣をシャットアウトしての完全にチーム内だけの予祝だったのなら。もちろん、プロの世界の勝負ごとなので、だからといってどうなっていたかはわからないが、なんだかその差はとっても大きい気がする▼さてさて、明日からは高知県須崎市ほかへ旅出張なんである。そのおかげで、週末の締め切りが前倒しにもなったのでした。例の特集「サンライズ /サンセット」の撮影も兼ねているから願うことはただひとつ。×××! 語尾を過去形にして予祝してみた。ココロの内に願いを秘めて伏せ字にしつつ(唐澤和也)