からの週末20220507(土)
プロフェッショナルのプロフェッショナル
▼誰にだって、なにかしらの影響で使ってみたい単語のひとつやふたつはあるだろう。漏れない、ごたぶんに、私も。いや、違う。これは使ってみたい単語ではなく、ラップの倒置法をいい感じで文章に使えないかと思ったのに、外国から日本にきたばかりの人みたいにチープになってしまったただの失敗文だ。なので書き直すと、私もごたぶんに漏れない。かねてより使ってみたかった単語のひとつが「えぐい」である▼元々はえぐみとか、そっち系のネガティブな意味の言葉のようだが、最近の若者言葉的には〝転じてポジティブ〟にも使われている。ま、過去例でいえば「やばい」と似たような転じ方なのだろう。「やばい」にしても元々は危機的な状況を指す言葉だったはずだが、転じてポジティブで、「すごい!」の意味合いも持つ言葉となっていった。「えぐい」もまったく同様の変化をしているご様子で、傑作サッカー漫画『アオアシ』では、まさに「すごい!」を形容する言葉として使われている▼舞台はJユース。プロサッカー選手を育成する組織の高校生が主人公だ。超前向きなはずのその主人公が〝あれにはなれない〟と初見であきらめたほどの天才プレイヤー(栗林晴久という。16歳でJリーグデビュー!)が、味方へとキラーパスを放り込み、チームメイトがシュートをうつも、なんとか防いだ相手チームのキーパーが栗林を評して言う。「……エ……エグすぎる……」。しかも、恐怖に震えて。いかに栗林という天才のプレイに凄みがあるか、実際のサッカーを知らない身でも実感できる素晴らしき描写。以来ずっと、ライターとして「えぐい」という言葉を転じてポジティブに使ってみたかったというわけ▼そんな憧れ単語が描かれた『アオアシ』のコミックス13巻を読み返してみると2018年の発行だった。ということは、約4年間も使いどころがなかったか、あるいは、すっかり忘れていたことになるが、このゴールデンウィークに見たドキュメンタリー番組は、まさにえぐかった。タイトルは『プロフェッショナル 仕事の流儀 小栗旬スペシャル』。さすがは国営放送、400日もの間、小栗旬を追いかけたという▼えぐかった。あまりにもえぐくて、思わずいま、原稿を書く前にもう一度見直してしまったほど。はたして私は、この番組のどこに鷲づかみされたのか。小栗旬という俳優の魅力なのか。もちろん、それは大きい。でも鷲づかまされたのは、取材者と小栗旬との関係性だった。つまり、単体ではなくセットということ。その関係性は、イタンビューを志すものの多くが憧れ、同時に畏怖する類の「素晴らしさ」と「怖さ」がごちゃ混ぜにされた人間対人間の向き合い方だった▼ちょっと調べてみた。ディレクターは和田侑平さんという。どうやら『プロフェッショナル 仕事の流儀』としてはかなり異色の構成だったそうで、本作は和田さんと小栗さんの対話、すなわちインタビューが軸となって転がっていく。小栗さんがなにかを言う。和田さんが「へぇー」とか言っちゃう気取らぬ感じに好感を抱く。さらに、職業病的に共通点を探して共感してしまったのは、時には質問ではなく感想こそがインタビュイー(この場合は小栗さん)の言葉を引き出すかもしれないということ。私の経験では「お前の感想なんてどうでもいいから質問をしろ!」と感想に嫌悪感を抱く編集者もいたけれど、私はビバ感想派。質問ではなく感想が、何度も何度も手ごたえのないインタビューを救ってくれた実感がある。同番組でも、和田さんの感想を肚に落とし込んでからの小栗さんの言葉は、それまでの質問に対する回答よりもあきらかにきらりと輝いていた▼けれども、最大のえぐさポイントはほかにある。それは、2度目の観賞となったNHKプラスでなら71分44秒中の59分13秒ぐらいの出来事。つまり、番組としては佳境を迎えつつある頃。和田さんが失敗をしでかす。もっともっととドキュメントな瞬間を映しとろうと自分で回していたカメラを芝居中の小栗さんの視線の先へとずらしたとき、「ちょっと気になる、ごめん!」と小栗さんが和田さんのカメラを制したのだ。足早にカメラを移動し、「失礼しました」とドラマスタッフに申し訳なさそうに謝罪する和田さんの小さな声も聞こえてくる。そこから、密着は1ヶ月半も中断する。おそらく和田さんは、自責の念と自身への怒りで、身動きが取れなくなってしまったのではないか▼では、なぜ番組が完成し、つまり中断が再開となったかといえば、小栗さんが和田さんへこんな言葉をラインで投げかけたから。「元気してんのか?」。ひとつも説教臭くなく、けれども和田さんを気遣ってくれていることが詰まったシンプルな言葉。うれしかっただろうなぁ、紙とテレビというメディアの違いはあれど、広義の同業者としてそう思った。それ以前に、もっともっととあと一歩を踏み出してしまう和田さんの気持ちも。そして、恥ずかしさに痛みすら感じただろう、小栗さんを謝らせてしまった時はとも想像した。これぞ、イタンビューを志すものの多くが憧れ、同時に畏怖する類の「素晴らしい」と「怖さ」のごちゃ混ぜで、だからこそ、えぐかった(唐澤和也)