からの週末20220304(金)
赤い車が欲しくなる映画

▼優れたパーカッショニストは、一番大事な音を叩かない、とその人は言った▼SNSなどのデジタルな情報収集が主流な時代にいかがなものかと思うが、私のエンタメ情報源のメインはアナログなクチコミだ。仕事で出会う若い人たちとの雑談で今どきの流行りをざっくりと教えてもらいつつ、映画鑑賞の師匠・イラストレーターの川崎タカオくんをはじめ、同業者の大後輩A、美容師のKさんなどの「この人たちがおすすめする映画や漫画ですべったことがない」というキュレーターが何人かいる。それが心強い▼そんなわけで、『ドライブ・マイ・カー』。脚本賞ほかカンヌ4冠、ロサンゼルス映画批評家協会賞作品賞&脚本賞、さらには日本映画初となるアカデミー賞作品賞ノミネートなどなどなど海外で絶賛されている同作は、美容師Kさんのおすすめだった。といってもKさんの同作鑑賞は昨年夏のことだったので、東京でも上映館は少なく、大森の映画館までわざわざ行って見てきたそうだ▼私の『ドライブ・マイ・カー』鑑賞は今週だった。その日は、南町田での仕事が夕方の4時半に終わる。19時、20時終了が通例だから、かなり巻いての終了ということになる。まるで、ストリップ劇場の仕事をしていた劇団時代に大入り袋をもらった時のような(1000円が入っていた)、うれしいボーナス感だ。さて、このボーナス時間をどうしてくれよう? 20年前ならばパチスロかメンツが揃えば麻雀だった。10年前なら飲んだくれていた気がする。では令和4年のいまならば?▼せっかく南町田にいるのだから、この街で興じられることはないかと脳とスマホを動かしてみる。南町田には映画館がある。映画はいいかも。上映作品に『ドライブ・マイ・カー』のありなしをまっさきに確認したのは、同作の原作者である村上春樹の長編小説『騎士団長殺し』と、同じく小説家である川上未映子による村上氏へのインタビュー集『みみずくは黄昏に飛びたつ』を最近読んだらおもしろくて、美容師Kさんのおすすめを思い出したからだった。結果、5時半という絶妙な開始時間で『ドライブ・マイ・カー』がかかっているではないか。ベートーベン、別名、運命。これはもう観るしかない▼はたして『ドライブ・マイ・カー』は、大好きな映画だった。静かだけれど、どこか暴力的。その暴力性は、罰ゲーム的に思うがままに振られまくった缶のコーラが、あとは蓋を開けられるのを待っているような状態とでもいおうか。爆発寸前の暴力未満のものであり、それがゆえに怖い。しかも、主人公を演じた西島秀俊の俳優力によるものだけでなく、観る者の価値観とあわせ鏡なのが怖い。(俺だったらこうする)と物語を追っていると感じるのだが、その(こうする)が私の場合は暴力だったのであろうという、その合わせ鏡が怖かった▼3時間近い上映時間を通して(コミニケーションとはなんぞや?)と問われ続けているようでもあった。コミュニケーションという意味では、ひとりの印象的な登場人物とひとつの心に残る場面があった。『ドライブ・マイ・カー』の主人公は、演出家兼俳優であり、彼が主宰する広島県の演劇祭が物語の中心なのだけれど、その演劇祭に応募してきた韓国人女性俳優が手話を操るという設定であった。つまり、彼女は話せない。耳は聞こえるので、主人公である演出家の声は聞こえる。でも、主人公は基本的に日本語でしゃべるから意味はわからない。音は聞こえるけれど、コミュニケーションはとれない。でもある時、魂が乗り移ったようなエモーショナルな手話を操って彼女は言うのだ。「だからこそ、感じられるものがある」。その場面が、彼女とその夫と、主人公とそのドライバーとで囲む食卓であり、くすりと笑わされるシーンのあとだったからこそ、心を撃たれた。そして、考えさせられた。コミュニケーションってなんなんだろう?と▼もうひとつは、人ではなく場面だ。主人公とそのドライバーが走らせる赤い車が、わけあって広島から長距離のドライブをし、雪国へとわけいった時のこと。唐突に、音が消える。それまで映画を裏支えしていた音楽や効果音の類の一切が消える。その瞬間、その無音に観る者の五感が支配されてしまう。映画が監督と観客とのコミニケーションであるとするならば、監督が紡いだスクリーンに映るものたちはなにも言ってないし、観客にはなにも聞こえていない。でも、その無音というコミュニケーションこそが、たしかに私の心を揺さぶったのだ。まさに、冒頭の一文である「優れたパーカッショニストは、一番大事な音を叩かない」だった▼その言葉は『ドライブ・マイ・カー』の原作者でもある村上春樹が好んで使うパンチラインである。本作の濱口竜介監督は、この言葉を知っていたのだろうか。おそらく知っていたのだと思う。とはいえ、だからこそ、その場面を村上春樹の名言に捧げるかのように作ったわけではなく、ただ単に、彼が映画監督という名の優れたパーカッショニストだったのだろうと想像する(唐澤和也)