からの週末20220225(金)
もやしのうま鍋と騎士団長殺し
▼とある平日のランチタイム。地元・学芸大学の定食屋で「鯖味噌煮定食」を久方ぶりに食べる。対面ではスタッフの山岡が「角煮定食」を頬張っている。おいしそうだ。魚のほうの定食を食べ始めた私は、その瞬間、わなないた。うまい。そしてあたたかい。なんなんだ、この白い味噌汁のありがたさは……▼おそらくその感動は、ここ1ヶ月ほどランチはお弁当が続いていて外食での昼食というものが久しぶりだったから。控えていた理由は、やっぱりコロナのことが影響している▼ある仕事があった。諸事情あって、2月1日のインタビューが2月18日へとのびていた。私をインタビュアーだとすると取材対象者をインタビュイーと呼ぶ。受け身のイーであり、インタビューされる人という意味だろう。今回のイーさんご本人に伝えると「年寄り扱いするな!」とか怒られそうだが、お元気とはいえご高齢でもある。なにより、その人は日本の宝と言ってもいい人なので、自分にできることは全部しようと思った。取材の準備もそうだし、コロナのことも▼というわけで、当初の取材日が2月1日と決まった2週間ほど前から、スタッフとのランチもなしとした。というのも、2021年の夏にPCR検査を受けた時のお医者さんいわく「ランチが曲者」とのこと。仮にうちのスタッフがコロナ陽性だったとして、働いている時のマスクのことやふたりの距離などがOKでクリアとなったとしても「でも、ランチには一緒に行ってたんですよね?」な場合、濃厚接触者となるらしい。コロナのことは日々アップデートされているはずなので最新情報はわからないけれども、やれることは全部やるためにスタッフと一緒のランチはやめておこうと決めた▼昼は弁当、夜は違うところの弁当か外食するのならひとりで黙食、あるいは自炊と決める。タイミング的に繁忙期はすぎていたので、土日を連休できる時なんぞは、金曜夜の買い出しからちょっと楽しみだった。振り返ると、変な話だ。なぜ楽しかったんだろう? いわゆる自粛的生活なわけで、楽しさとは真逆の日々でもおかしくないはずなのに。でも、楽しかった▼たぶん、そういう生活をしなさいと誰かに命令されたのではなく、自分でそうしようと決めたのがよかったのだと思う。ビールひとつ買うにしても、愛飲しているサッポロ生ビール・黒ラベルはNGね、などとしばりをつけていろいろと試したりもした。結果、ホワイトベルグという新ジャンルな飲み物にどハマりし(フルーティ&お安い!)、自炊といってもめんどくさくなくておいしいものを求めるとこの季節は鍋一択となる。しかも、スープは素。学芸大学駅前の東急ストアには、洗剤の買い替え用みたいなパッケージの鍋の素がずらりと並んでいたのだけれど、この期間中に全種を試したんじゃなかろうか。結果、私の推しは「もやしのうま鍋」。その名の通り、具材にはもやしがマストだが、ちょちょいとついでに買ったできあいの水餃子をぶっこむと絶品鍋になるのであった▼そんなわけで、基本は楽しめていたのだけれど、当初予定の2月1日からのリスケが決まった瞬間だけはきつかった。その時は、先が見えなかったからだ。延期だけれどいつかはわからない。もしかしたら取材そのものがなしになるかもしれない。この2年間、何度も経験したやんごとなきとはいえやるせなく、我々フリーランスが忌み嫌うカタカナ5文字といえば? そう、「キャンセル」である▼でもしかし、2月18日に無事にリスケが決まる。そんなタイミングで、先週書いた「アンチョビ・ラプソディ」で素に頼らないアヒージョに開眼したことで自炊欲にエンジンがかかったりもした。休日は、昼にアヒージョ&パン、夜に鍋。おいしいもの好きな女子にならって、アヒージョ用においしいパン屋を近所で探したりもして。そして、昼夜を問わずホワイトベルグ。取材のテーマやプロット(質問案)はリスケ前にほぼ固まっていたので、余暇的時間もあったのだった。読んだり、見たり、笑ったりしたのは、村上春樹の長編小説『騎士団長殺し』やずっと気になっていた映画『9人の翻訳家』や『相席食堂』などなど。それらのほとんどがおもしろかった。ツタヤ時代から、家庭内娯楽作品はすべりにすべる時もあるから、あたりにあたったのがありがたかった▼2月18日のイーさんは言った。「すべての娯楽は生きる力」であると。本当にそうだよなぁと思う。正確に記すと、ご本人はその言葉を口にしたことを覚えていなくて、こちらがその言葉に感動したことを伝えると「本当に忘れてたけど、でも俺、いいこと言うなぁ」と笑いにしてくれたのだった。そう、その人は芸人である。なのに、自分の芸は生きる力と限定せずに〝すべての娯楽は〟としているのがいい。いまの時代に絶妙な言葉だ。つまり、絶妙なパンチラインだ▼ふと思った。いつものビールはNGな、しばり付き買い物や、アンチョビ・ラプソディ的いちからつくるアヒージョ作りもあの時期の私にとっては娯楽だったのかもしれない。あっさり言えば楽しかったし、大げさに語れば生きる力だった▼うーん、となると、である。アヒージョと同様に鍋の素に頼らず絶品鍋が作れるようになったらもっと楽しいのかな。とりあえずは、いつも頼りにしている動画をチラ見してみようと思う。そんな動画を見るのも娯楽のひとつとして(唐澤和也)