からの週末20220210(木)
傑作はひとりで観る
▼ふらりとブックオフでオフった先週末。ツタヤの日々が終わりを告げたいま、あっさりとネットフリックスに転向してハマりまくっていて、そもそもの韓国映画好きなもんだから『今、私たちの学校は……』なんて、もちろん更新日の金曜と翌日の土曜で一気見したのだった。おもしろかった。おっさんなのに、いや、おっさんだからこそ、Kゾンビと呼ばれる、かの国ならではな怖さを極めたエンタメ度の高さと、その裏側にきっちり描かれている人間の性(さが)、とくに純愛にグッときたのだった▼韓国映画に限らず、ヒット作というのは宿命的に賛否両論を呼ぶもの。個人的には〝賛〟でしかない『イカゲーム』にしても、『カイジ』などの日本製漫画のパクリといった否も多かった▼『イカゲーム』の賛否両論で思い出したのは、10代の頃、毎週楽しみに聴いていたFMラジオパーソナリティの「ヒットソングは賛否両論あってこそなんだよね」的な言葉。その人はミュージシャンだった。もしかしたらライターを目指した裏きっかけかもしれないのだが、まだ17歳だった私が投稿した葉書を「この17歳はちょっとすごいです」と褒めてくれた人。そんな人物の言葉だから17歳なりに必死に理解しようとしたが、そのころはまったくもって賛否両論あることのよさがわからなかった。だって、賛だけのほうがいいじゃん。俺、あなたに葉書送って褒められて、つまり賛だったことがすげぇうれしかったわけだし。そんなことを『今、私たちの学校は……』の登場人物たちと同年齢だった頃の私は純粋にそう思っていたけれど、いまならそのパーソナリティが言わんとしていたことが、ちょっとわかる▼「言いたい」。もっと言えば「言わずにはいられない」。観た人、聴いた人にそんな感情にさせざるをえない、映画や音楽やなにかしらの表現というもの。表現をずっと広げて、ちょっと昔のグラビアアイドルであるインリン・オブ・ジョイトイでもいいや。言いたい。インリン・オブ・ジョイトイを好きか嫌いか以前にその名を聞いちゃったからには、インリン・オブ・ジョイトイって、一度は言ってみたい。そんな感じで、とある表現が「言いたい」と思わせた時点で、賛否の否であろうと、もう勝ちというか、その表現には価値があるのだと思う▼だから、『イカゲーム』の賛否両論の否のひたたちに反論したいことなどない。だって、お互いが言いたいのだもの。そりゃ、平行線をたどるし、それがいいのだし、それが賛否両論を憧れのラジオパーソナリティが良しとした理由だと思う▼そのうえで、ひとつだけ言いたいのは、傑作はひとりで観たほうがいいと思いますよということ。娯楽作や娯楽番組はみんなで見ればいい。見ながらああだこうだ言えばいい。でも、傑作は、あなたにとっての傑作は、ひとりで観るのがいいと思う。多くの声を聞くのはそのあとだ。そうじゃないと、決して義務感などではなく、ただただ好きだったり好奇心だったりで観たり聴いたり読んだりして巡り逢えたとっても大切な表現への自由度が減ってしまうから▼ちなみに、17歳の頃、夢中になって聴いていたラジオパーソナリティが私の葉書を褒めてくれたあとで、かけた曲は井上陽水さんの「リバーサイド・ホテル」だった。だからというわけではないが、傑作だと思う。その傑作を聞くと、いまでも私は17歳のあの頃に戻ってテンションがあがりつつ、実年齢のいまに舞い戻ると、賛否両論をえられる表現をいまのお前をしてんのかよ、とちょっぴりサディスティックに自省させられるのだ。なーんて、雪が降っている夜、ひとりでそんなことを思いましたとさ(唐澤和也)