からの週末20220204(金)
誰がために骨は鳴る?
▼朝、9時。今日も威勢よく骨が鳴る。ボキボキボキと腰と背中と首の鳴る音だ。ここは都内某所の整骨院。週2回、腰と背中と首をいろんな先生が鳴らしてくれる。とはいえ、音はおまけみたいなもので歪みを矯正するのが目的なのだと思う。何人かの先生がいるのだが、グレイシーと心のなかで勝手に呼んでいる人の時が一番矯正されている感がある。新婚さんはキャリアが浅そうで、ほかの先生よりは自信なさげなので、ちょっと身構えてしまう。ちなみに、グレイシー先生はガタイのいい先生たちのなかでも、ガチで戦ったら一番強そうだからその名で、新婚さんはそのまんま。昨年冬に結婚したばかりなのだそうだ▼診察券で振り返ると、昨年のクリスマスイブが初診日だった。その頃かぁと記憶をさかのぼるのは、あの忌まわしき激痛の思い出だ。いまだにこの病名でいいのかはっきりしないけれど、3日間限定の五十肩。口の高さまでしか右腕が上がらず、ということは万歳ができず、ってことは服の着脱にすらめちゃくちゃ苦労するということ。眠られない夜をすごした痛みの名は夜間痛。その翌日は街を歩くことすら怖かった。誰かがちょこんとぶつかってきても、右肩がもげるような激痛に襲われていたことだろう▼誰にだって人生で戻りたくない瞬間がいくつかあるはずだが、あの3日間は私史上かなりの上位だ。というわけで、コロナのこともあり朝イチならば人が少ないってことで早起きして9時に、しかも週2回の通院をクリスマスイブから続けていた▼ところが、ふんわりとどうなんだろう?と思い始めている。グレイシーと新婚さんのほかの先生たちもみな親切で、おそらくスキルも高いのだろう。心のなかで勝手にカンサイ先生と呼んでいる方にストレッチをすすめられてからは、毎朝、ユーチューブを見ながら硬い体を前後左右いろんなところに倒し続けてもみた。ま、毎日3分間だけだけれども。でも、えらいもんでほんのちょっとだけだけど前屈して伸ばせる距離が遠くなったように思う。つまり、ほんのちょっとだけだけど、柔らかくなった気がする。ちなみに、カンサイ先生はお察しの通り関西弁の陽気な人だ▼それでも、ふんわりとどうなんだろう?と思い始めている。カンサイ先生にすすめられて始めたストレッチの効果は実感があるけれど、言ってみれば、自主トレみたいなもんだ。肝心の接骨院に通って体調が改善されたという実感がない。ボキボキボキと威勢よく鳴るあの音とともに施される矯正術を気持ちいいと感じる人もいるだろうけど、私にとっては凪。不快ではないが快でもない▼繰り返すが、整骨院のスキル等の問題ではないと思う。タイミングの問題なのだと思う。私の五十肩は3日間限定だったものだから、発症から10日後に初診を受けた時には一切の痛みがない状態。その日の治療でなにかがよくなるはずもないし、悪くもなりようがない。そのタイミングがダメだった。毎回、いろんな先生が「どうですか、今日の調子は?」と聞いてくれるたびに「変わらずです」と答える私。微妙な表情のグレイシーや新婚さんやカンサイ先生たち。わかりますよ、そういう表情になっちゃうのは。そりゃあ私だって、芸のないオウムばりに愛想のない言葉を繰り返したくない。「よくなりました!」とか言いたい。逆に「なんだか右の腰に違和感があって」とかでもいいや。アイワナビー変化。やっぱり、タイミングだ。激痛3日目に通院を始めてたのなら、翌日には痛みが引いて「すげぇぜ、整骨院!」となっていたはずだったのに▼だからこそ、せめて会話ぐらいはと変化を求めていたのだと思う。その日の先生は新婚さんだったのだが、私にしては珍しくこんな言葉を口にしていた。「ストレッチ効果がちょっとだけあったんですよ」。目を輝かせた新婚さんは「何分間ですか?」と続けてくれた。いつもの会話にはない新鮮なやりとりがこちらもうれしい。「3分です」「10分ぐらいですか?」。見事にかぶった、私の回答と新婚さんの追加質問。ゼロコンマ何秒かの気まずい沈黙のあと、新婚さんは言った。「でも、続けることが大事ですから」▼そういうことなのかなぁと思う。ふんわりとどうなんだろう?と思い始めていたが「続けることが大事」なんだと思う。誰がために骨は鳴るのか? より、おっさんとなった未来の私のためだ。そう言い聞かせてみようと思う(唐澤和也)