からの週末20220128(金)
怒りが僕を追いかけてくる
▼心理学用語のひとつに「カラーバス効果」というのがあるらしい。脳は意識した情報を集めていく特性があり、たとえば「今日のラッキーカラーは赤」という情報を意識すると、街を歩いていても自然と赤色のものに注目してその情報を〝集める〟効果のことをそう呼ぶ。ものの本には、アンテナを立てるように欲しい情報を意識して日々をすごすとナイスなアイデアが思いつくかもですよ〜なんて「カラーバス効果」の効用を紹介していたりもする▼では私は、いったいいつどのタイミングで、今回のキーワードを意識してアンテナを立てたのだろう。怒りだ。アンテナを立てた覚えなど一切ないのに、この1週間、怒りが僕を追いかけてくる▼この場合、最近の主語としては「私」なのだけれど、追いかけられてるのは私よりも昔の主語である「僕」な気がする。個人的な感覚なのでわかりにくいかもで恐縮だが、まぁとにかく、怒りが追いかけてくる▼最初はユーチューブからだった。ギリシア時代のセナカとかいう哲学者が怒りについてこう語ってますよーという、いかにもユーチューブらしくコンパクトに書籍の主旨をまとめてくれている内容だった。怒り=短い狂気。怒りとは不正を受けたことに対する報復の欲望である。そんなまとめがおもしろかった。そうか、怒りとは欲望のひとつなのだなと妙に納得させられる▼続いては、野球のコラム。阪神ファンならばみんな大好き・内田雅也氏のコラムにハンク・アーロンという偉大なるホームランバッターが怒りに対しての対処法が書かれていた。いわく、ハンク・アーロンだって多くの人と同じように怒りの感情に震えることはあったと。でも彼はそういう時に人と違う反応をすると。物を蹴ったり、ヘルメットを投げつけるのではなく「考えるようにしています」と答えたというのだ▼その後も怒りが僕を追いかけてきた。ハンク・アーロンさんとは真逆のパターンで、日本のプロ野球で怒りに任せて利き腕で壁とかチェアとかを殴っちゃった4番バッターやエースピッチャーが全治何ヶ月とかのケガを追ってしまい、所属チームの監督にえらい勢いで逆に怒られたエピソードをまとめた記事だとか、アメリカの俳優が学んだアンガーマネージメントに関するニュースだとか。そんなわけで、怒りが僕を追いかけてくる▼振り返れば、怒りこそ自分から一番遠ざけたいと思っていた感情だった。いや、セネカふうに言うのなら、怒りこそ自分から一番遠ざけたいと思っていた欲望だった。というのも我が人生で一番怒っている人は圧倒的に父親だった。だったというか「我が人生で一番怒っている人はいまなお圧倒的に父親である」と現在進行形で書けるほどに怒りっぽい。映画『マッドマックス 怒りのデス・ロード』で、いろいろと怒っていた人たちよりも圧倒的に父親のほうが怒りっぽい▼この正月もひどくて「これ食べる?」「あれ食べる?」「それ食べる?」と生来の世話焼きな性分から聞いてくる母親に「いらんって言ってるだろ!」と怒鳴り散らしていた。まぁ、母親もちょっとしつこくて「それ」までいかずに「あれ食べる?」でやめときゃいいのにとは思ったけれど、それにしても感謝こそすれ、あのボリュームで怒る場面ではない。まぁまぁまぁとなだめながらも一番に思っていたのは(俺はこの人の血も引いているのだなぁ)ということだった▼昔からいろんな人が言っているように、似たくない父親の性分こそが似てしまうもの。僕なのか、私なのかも然り。40歳をすぎたあたりでセンスのよい後輩に「キレ澤先輩」とあだ名をつけられてイジってもらうまで自覚はしていなかったのがおそろしいけど、世間一般の尺度から言えば圧倒的に怒りっぽい大人になってしまっていた。いつの間にかだった▼ところが、この年末年始を境に、怒りにふりまわされないですむことが増えてきているような気がしている。それは、歳を重ねて他者への思いやりが持てるようになったとかいう美談的展開ではなく、ただただもう、自分が疲れただけ。怒りだけでは、キレ澤のままでは、どん詰まりな予感。体の芯のほうから潜水艦のソナーのようにピコーン、ピコーンと途切れずに届くあの感じで警告音が鳴っていたのだと思う。劇団の大借金時代にもあったソナーだ。これ以上は1円たりとも借りたらやばい。そんなピコーンを境に借りることをやめて返すに転じたのだけれど、あの時、警告音を信じていなかったらかなりまずいことになっていた確信がある▼年末年始には具体的な出来事もあった。例の「五十肩っぽい3日間限定の激痛」が、やっぱり五十肩ではないのではないか、3日で痛みがひく例は聞いたことがないと教えてくれる人がいて「じゃあなんだったんだろ?」「ストレスじゃないですか?」という会話から年末のある出来事が思い当たった。その出来事は人間関係で、年末の忙しさとも重なってあわやキレ澤状態までいったのだけれど、なぜだかふと「もういいや、こういうの」と感じたのだった。怒りの矛先が向かっていた人はいた。でも、その人のことを思いやってとかではなく、キレ澤を続けてしまうと自分がどんどん痛んでいく気がして、怒る代わりに過剰なほどやさしくしてみることにした。そのあと、嘘のように痛みは消えた▼昔からの私を知っている人にこの話をすると「え〜〜、キレないキレ澤なんてツマんなーーい」的なリアクションをする人が多いが、その気持ちはちょっとわかる。自分に被害が及ばないのなら、怒っている人って見ててちょっとおもしろいから。さてさて、どうなることなのか。元祖キレ澤さん(僕の父親)の正月の怒りようからすると、気を抜くとすぐ元に戻りそうな気がするけれど、とりあえず、シャレ半分に「アンガーマネージメント」ってやつをユーキャンあたりで学んでみようと思っとります(唐澤和也)