からの週末20220121(金)
その映画は見たことがないが酒とバラの日々の話
▼令和の世は、ある人が売れるとわざわざ過去にまでさかのぼって叩きまくる時代でもある。Creepy NutsのR指定は「デジタルタトゥー」という曲で<ある意味落書きだらけの身体/消したくても消せないその痣が/過去から嘲笑う>と謳う。過去が消えないというデジタル時代のリアルを謳う。ある種の懺悔とともに▼あれは「モダンタイムス」だったか。小説家・伊坂幸太郎はいきすぎた情報化社会を予見したかのような物語を紡いだ。作品中、そんな社会への防衛策を〝隠さない。さらけ出すしかない〟というようなことを綴っていた、と思う。ならば、ライターである私も叩かれる前に隠さずに書いてみよう。売れる予定も予感も一切ないけれど、懺悔をキーワードにさらけ出して▼懺悔、懺悔、懺悔。1分間ほど考えて、なるほどなぁだったのは、懺悔するほどの強烈なエピソードもあるからこそ、売れる人は売れちゃうんだろうなぁということ。食えてはいるけれど売れてはいないライターの私は、たいした懺悔エピソードもありはしなかった▼せいぜい、超大物芸人かつ強面だったS氏のインタビュー現場で、あろうことかテープレコーダーを忘れてしまってワナワナとビビりまくった失敗談ぐらい。でも、S氏はやさしかった。テープレコーダーはカメラマンと打ち合わせしていた喫茶店に忘れてきていたから、そのカメラマンさんにダッシュで取りに行ってもらいつつ、早口のS氏の言葉をすべてメモる私。(あ、テレコはないけど、大丈夫なんやな、この人は)と、そんな感じでどんな質問にも答えてくれた。ダッシュで戻ってくれたカメラマンさんに感謝しつつ、途中でテレコを回し始めても「やっぱり、忘れてたんか!」などと怒ることもなく、それまでと同じようにS氏でしか語れないトピックスで語ってくれたのだった。その話術は巧みで抜群におもしろかった▼……って、違う。こういうのはけっこうあって、美人女優に「あん?」とすごまれるほどに怒られたこともあるけど、なんか違う。語るに落ちる的ニュアンスで自然と書いちゃったように、これは失敗談であって懺悔じゃない▼懺悔、懺悔、懺悔。ちょっと必死に考えてみて、思い当たることがあった。「反省はしてもいいけど後悔はしちゃダメ」という劇団時代からの師匠の名言を胸に刻んできたタイプなので、後悔というものをほとんどせずに生きてきてしまった我が身の数少ない後悔が「酒とバラの日々」だ。あの頃のことは、後悔であり懺悔だ。少なくとも誇れる過去ではない▼とびっきりの悪女との恋が終わり、タガがハズレてしまったのだと思う。あるいは、女性不信だったのかもしれない。その反動で、狂ったように女性との逢瀬にいそしんだ時期があった。いや、ふつうの逢瀬ならば問題はないけれど、あれはまったくもってふつうじゃなかった。逢瀬のシステムが特殊で、90分間限定で金銭さえ支払えば美女ばかりがやってくるデリバリーでヘルシーなシステム。だがしかし、当時は厄年の例の件で無一文状態。なのに、一度外れたタガは戻らず、シラフの時はもう二度と呼ぶまいと誓うが、ひとたび酒が入るとスイッチが入ってしまう。この言葉の由来になったとかいう映画の世界観とは近しいような遠いような気もするけれど、でもひとことで言うのなら、酒とバラの日々。あの頃のあの夜、膨らんだのは欲望だけではなく借金もだった▼あれはなんだったのか。寂しかったのだと思う。その結果が依存症という病気だったのだと思う。当時の私の心境に一番ぴったりな描写は、のちに読んだ「進撃の巨人」のあるひとコマがもっとも近かった▼ケニーというダーティヒーローが最期の場面のこんな言葉だ。「みんななにかに酔っ払ってねぇとやってらんなかったんだな……」「みんな……なにかの……奴隷だった」。すげぇセリフだった。なぜ、俺の気持ちをこの作者はわかってくれているのだろうと感嘆し、そして、あの頃を思い出して、俺だけじゃないんだなと救われた▼冒頭のパンチラインを謳ったR指定は過去への懺悔をリリックに落とし込むだけでなく<消し去りたくなる過去すら全部/手品みたく変えてく万札>と未来への決意も忘れないのが、かっこいい。けれど、叩かれる前どころか売れる前の私の懺悔には、そもそも無理があったし、ただの黒歴史なわけで、未来に向かってカッコいいことなんて言えるわけもない。でももし、ひとつだけ、酒とバラの日々から得られたものがあるとするのなら、それは視線のようなものだと思う。ケニーの言葉を借りるのなら「奴隷だった」わけですから。そんな私ごときがという、上から目線の逆の下から目線は、文章を書く上で意外と大切なんじゃないだろうか。って、そんな思いもやっぱり無理があるのだろうか(唐澤和也)