からの週末20220115(土)
無一文は借金がゼロとも言えるのさ

▼とびっきりの悪女に恋をして、その人がやっていたお店の保証人になってしまい、あげくのはてに無一文になったのは、たしか42歳の時だった。「厄年って本当にあるんだね!」とネタにするしかなかった記憶があるからたぶんそう。そんな感じで半分ネタにして半分落ち込んでいたその頃、カメラマンの先輩のこんな言葉に救われる。いわく「無一文なんて全然大丈夫だよ。金がないってだけでしょ? 俺は借金1億だから」。その金額が本当だったのか、私を励ますために盛ってくれたものかはわからない。でも、爆笑させられた私は、そうだよなぁ、そういう考え方もあるよなぁとずいぶんと前を向くことができて、ありがたかった▼発想。エンタメ好きな人とビジネス志向の方とではその捉え方が異なるワードのひとつ。エンタメ好きな私にとっての発想とは、イコール「笑いにおける発想」であり、やけにハードルの高いものとして認識されることから始まった気がする。コントの劇団の裏方時代に徹頭徹尾笑いの発想が乏しくて、途方にくれていたから。劇団のその当時、逆に発想の塊で神様のように感じていたのが、ダウンタウンの松本さんだった。たとえば、こんな発想に度肝を抜かれていたのだった▼最近では見かけなくなったけれど、かつての東京は丸太を積んだトラックが疾走していた。凡人である私は、丸太を積んだトラックに別段思うところはなかった。ところが松本さんは「あの人たちが趣味でサークル的に丸太を運んでたらどうする?」などと友人であり放送作家の高須さんに語ったという。はじめてそのエピソードを知った時の私は、笑うよりも先に不思議でしょうがなかった。なんでそんなことを思いつくんだろう、と▼ライターになってからは、発想についてどのように向き合ってきたのだろう? 企画の立案か? いや、それもあるだろうけど、そもそもが劇団時代のようには発想という呪縛に囚われずに「おもしろい!」とか「いいかもしんない!」とか、そういうシンプルな感覚をよりどころにやってきた気がする。そもそもがライターとしていろんなことを考えるのは楽しかった。振り返れば、笑いという世界にいたつもりだった私は〝部外者〟であり、当事者じゃなかったのだなぁ、と今にして思った。当事者だったら(なんでそんなことを思いつくんだろう?)と畏怖したとしても、ビビったまんまじゃ勝負にならない。発想で勝てないなら別のなにかを見つけるのが当事者であり、プロフェッショナルだ▼ライターの世界は少なくとも笑いの世界よりはむいていたのかもしれない。笑いに限らず世の才人たちのオリジナリティあふれる〝発想〟をインタビューで聞いたとすると(なんでそんなことを思いついたんだろう?)がそのままインタビューの質問になるのだから。そう考えると、劇団時代の笑いの発想のなさに絶望した日々も、発想のあるひとを心底尊敬できるという逆転現象を得られたという意味で、無駄ではなかったのかもしれない▼そして、発想といえばイコール純度の高い笑いの才能という捉え方から自由になれているのなら、歳をとるのも悪くない。冒頭のカメラマンの先輩の言葉然りだし、先週もちらりと書いたけれど、世界の二刀流・大谷翔平選手も然り。大谷選手は、あのメジャーの投手たちが当時45本塁打だった彼を徹底マークして4試合13四球だったと。徹底的に勝負をさけられていたと。本塁打王を争っていた時期だから(俺が日本人だから差別かよ)などと打席で苛立ちをみせてもいいはずなのに、大谷選手は「スキルアップのチャンス」と考えていたそうだ。これぞ、モノの考え方次第の極みのような発想。ライフスタイル的発想というか、生き方にまつわる発想を持っている人をおもしろいと思うし、スケールはちっちゃくていいから、自分も見習いたい▼というわけで、やけに小さなスケールのライフスタイル的発想をひとつ。コロナ禍がはじまり始めた2020年の4月1日から禁煙を始めている。いや、その頃から使っているアプリによれば卒煙をしている。はじまりは、ちっちゃなちっちゃな発想だった。緊急事態宣言で自粛生活を積み重ねるのが避けられないのが世の中の流れで、その日数が増えれば増えるほど陰鬱な気分になる予感があった。ならば、なにかひとつでいいから積み重ねることがプラスになることを始めたい。思いついたのがタバコをやめること。アプリによれば、その日から654日が経過したらしい。ちなみに、そのアプリの名はSWAN。654日間にわたってまったく気づかなかったけれど、英語の意味だけでなく「吸わん」もかけているんですね。そのタイトルにした発想は若干どうでしょうとは思うけれど、これからもプラスを積み上げていこうと思う(唐澤和也)