からの週末20211211(土)
人生を変えた買い物
▼お気に入りのウェブマガジンの連載によれば「誰にでも、人生を変えた買い物がある」らしい。ではでは、私の人生を変えた買い物ってなんなんだ? 物欲はあまりないタイプだと思うけれど、パネライの時計は私の人生を変えたように思う。パネライを買った私と買わなかった私は、どちらがいい悪いではないにせよ、別の人生があったような気がする▼40歳の時だった。物欲がないどころか、流行り物やブランド物にも興味がないのに、なぜにパネライだったのかといえば〝思い出〟がその理由だ▼20代の劇団時代、師匠が海外仕事のお土産にロレックスのフェイクを買ってきてくれたことがある。そういうことで恩着せがましい言葉を重ねる人ではないので、なぜにロレックスのフェイクだったかについてはひとことだけだった。「いつか、唐澤も本物が買えるといいなぁ」。人は怒られるのと期待されるのとの二択だと、後者のほうが断然伸びるとの学説があるらしい。師匠が私の人生に期待してくれたその言葉は、フェイクといっても尋常じゃなくよくできていたそのロレックスよりも、ずしりと重く胸に残った▼で、40歳である。残念ながら37歳で離婚してしまう私は、人生初の無一文となる。のちにとびっきりの悪女に騙されて人生2度目の無一文になるのとは違って、奥さんは経済面のことも含めて本当によくできた人だったから、完全にカッコつけた結果の無一文だった。彼女がコツコツと貯めてくれていたふたりの貯金があった。離婚の際に「半分にわけよう」と彼女のほうから提案してくれたのだが、カッコつけて全額渡してしまったのだ。出来高変動お小遣い制だった当時の私は、稼げば使える小遣いが増え、結果、あればあるだけ使い切っていたから個人の貯金はゼロ。つまり、無一文だった。それからしばらく、三軒茶屋のそのマンションでは、自分で焼いたサンマがごちそうとなる▼サンマを焼きながら考えていたのは、引っ越しだった。奥さんとの思い出はよきものが多かったけれど、やっぱり2マイナス1になった同じ部屋は、よき思い出を思い出すからこそつらい。これまた人生初だったのだけれど、ご利用は計画的に、の逆で、計画的にせっせと貯金をし、瞬く間に武蔵小山へと引っ越しを決めたのだった▼で、パネライである。武蔵小山に引っ越して少しばかり落ち着いた時、ふと師匠のロレックス話を思い出した。私の人生は直感でできている、のなら、カッコいいのだが、そんな大袈裟なものではなく「ふと思う」というちっちゃな感覚で、私の人生はできている。最近では、土曜の起き抜けにふと思った(そうだ、実家に帰ろう)みたいな感覚。武蔵小山ビギナーだった頃の私ももろにそんな感覚があり、ふと(そうだ、ロレックスの本物を買おう)と思い立つ▼となれば、さっそくだ。武蔵小山の商店街の中華小物を扱っているお店で、ベタなブタの貯金箱を購入。500円玉貯金というやつをその日から始めた。そのブタの貯金箱は満杯で5万円ほどの小ぶりだったから、豚の腹が満たされると専用の口座にぶっ込んだ▼ところがである。それから3年弱で狙っていたロレックスが買えるまでになったのだが、当時の大学生たちの間で何度目かのロレックスブームが巻き起こる。こちとら、40歳。しかも、3年近くもコツコツと500円玉を積み重ねてきた、元無一文の成り上がりの身である。ロレックスにはなんの罪はないが、小金持ちの大学生と同等なのはなんだか妙に腹がたった。路線変更。ありとあらゆる時計雑誌やウエブなどの情報を漁り、パネライのルミノールマリーナに「!」というフラグが立つ▼ところが、このパネライはちょっとした旅に出ることになる。件のとびっきりの悪女後の人生2度目の無一文の時、パンチラインに山岡が入った1年目の時、あともう一回ぐらいなんかの時、それはまあ見事にお金がなくなり最後の金策として、質屋へと旅立ってもらったのだ。その旅の期間は毎回1年から2年ぐらいで、その間の利子はなんとか払えたので質流れはせずにいまも私の左手にいてくれるが、利子は膨らみに膨らみ、購入価格以上の価値がこの時計にはあったりする▼ちなみに、お気に入りのウェブ連載とは、メルカリマガジンの「人生を変えた買い物」である。あるひとは「さすまた」が、またある人は「革ジャン」が人生を変えたという。その連載は現在までで4号、つまり、4人が自分の人生を変えた買い物について綴っているのだが、そのどれもがおもしろい。誰が考えた企画なんだろう? 編集としてクレジットされている方だろうか? メルカリというショッピング、つまり買い物が主語のクライアントのメディアで、奇をてらった企画ではなくど真ん中でおもしろいことをしているのが、おもしろい(唐澤和也)