からの週末20211203(金)
ワーカホリックだって夢をみるのさ2
▼話題の漫画『チ。』はパンチラインの宝庫でもある。私のエンタメ師匠のひとりである大後輩Aのおすすめでもあり、ずっと気になっていてようやく昨日読めた第5集では、こんな名言が心を撃ち抜いた。「なんというか、夢っていうのがあると、とりあえず一週間くらいは悲劇に耐えられる気がします」。未読の方は「悲劇? なにを大袈裟な!」と訝しむかもだが、その言葉が額面通りの物語内部の世界観であり、故のパンチラインだったりもする▼さて、『ワーカホリックだって夢をみるのさ』である。正確にいうと『ワーカホリックだって夢をみるのさ2』と末尾に2が付く。本当は、いまから書くような内容を2じゃないほうで書くはずだったのに、映画監督の三池さんの話から『負け犬伝説』という書籍のことを思い出してしまい、ついつい、ワーカホリックじゃなくてアンチ・勝ち組負け組の話へと急降下してしまったのだった▼すんません▼そもそも、先週のあれじゃ、三池監督=ワーカホリックと私がきめつけてしまっているかのようじゃないか。そうじゃなくて、私自身がワーカホリックと指摘されることがままあり、そうかもなぁ、たしかになぁと思い当たる反面、好きでやってる仕事だからほっといてくれ!と感じることがあったりもした。その反面、極度に疲れている時などは、でもなぁ仕事ばっかりの人生ってどうなのよと内省する時期もあって、反面につぐ反面なわけで、乙女風にいうと、揺れているわけでありました▼だからこそ、そんなワーカホリック(かもしれない)私からみて、超多忙な方は本職以外に夢や目標なんてものがあるのだろうかという純粋な興味があって、その流れで三池さんにもお聞きしてみたというわけ。でもって、まんまと三池さんには映画以外の夢があったというわけで、それがまた、描写が素敵だったものだから、その時以来〝いつか、本業以外の夢を持ちたい〟という夢があったのでした▼おそらく、夢をみるというのも才能のひとつなのだと思う。『チ。』の登場人物にしても、冒頭のパンチラインを口にするまでは、夢みることのない人生を歩んできた男であった。私はといえば、本業以外で夢をみる才能には恵まれていなかったようで、時間がかかった。三池さんの本業以外の夢に憧れてから20年近くがすぎ去ったごく最近、ようやくあることを夢みるようになっている▼でも、ここでは書かない。実際に叶った時に書こうと思う。なんだか、書いてしまうと叶わないような気がするし、逆にいえば、かなり真剣に夢みているとも言える▼ひとつだけ書きたかったことは、『チ。』の登場人物と同様に夢みることにはどうやらかなりの効能があるようだってこと。ふとした時に、そのことを想像するだけで、いい年をしたおっさんが「ふふふ」となるだなんて、はたから見たら不気味だろうが、本人からすると相当に幸せだ▼さてさて、最後に余談を。念のためにと「ワーカホリック」をウェブの辞書で引いてみた。個人的には周囲の人からそう評されるたびにカチンときたりしていたから、あまりいい意味では使われていないのだろうなぁと感じていたが、それをたしかめたかったのだ。すると、たしかにネガティブワードではあるのだが、それと対となる「ワーク・エンゲージメント」という言葉があることを知った。「ワーカホリック」が〝仕事をしなきゃ〟なのに対して「ワーク・エンゲージメント」は〝私は働きたい〟というポジティブな行為を指すものらしい。では、今回の私の文章は『ワーク・エンゲージメントだって夢を見るのさ2』だったのか? いやいや、なんだかきれいごとすぎる。本質的には自分が選んだ仕事だから〝私は働きたい〟時間が多いほうだとは思うけれど、我々の仕事にはつきものの締め切りという魔物が時に溜息だってこぼさせるのだから▼でもね、そんな時こそ、ワーカホリックだって夢をみるのさ。ふふふ(唐澤和也)