からの週末2021120(金)
豊川稲荷は突然に
▼なぜに、突然そんな言葉が浮かんだのかがよくわかんないのだけれど(そうだ、実家に帰ろう)と思ったのは、土曜日の起き抜けだった。昨夜、半分見て寝てしまった映画『えんとつ町のプペル』(以下、プペル)がそうさせたのか。あるいは、4連覇中である朝ドラの『カムカムエヴリバディ』(以下、カムカム)のとある1話が印象的だったからなのか。プペルは父と息子の物語でもあり、カムカムのその1話は、好きな人に会いたくてヒロインが日帰りだけれど旅に出る話である。プペルなのかカムカムなのか。いずれにせよ私は、映画の続きから最後までを見終わった土曜の朝11時に、東急東横線に飛び乗ったのだった▼実家に帰るという目的はあったけれど、目的じゃなくてお楽しみならば、久しぶりに味わうひとり旅だということにあった。「月刊LOGOS」というWEBマガジン編集長時代は、なぜか右手に火消し壺というアイテムを持って、日本一高所にある温泉まで登山旅をしたり、飛行機ならばすぐの八丈島まで〝シュラフで寝てみる〟をお題にわざわざ10時間とちょっとをフェリーに揺られたり。もう一度やってみたいかと聞かれたら秒速で「否!」と首を振るほどに修行的な苦痛をカラダの記憶が覚えているが、旅、とりわけ、ひとり旅はいいもんだというよき思い出も刻まれた経験だった▼「ストロング」という単語を若者の声で2度聞いた。熱海駅で男女3人ずつのストロングを飲んだであろう若者たちが降りてゆく。楽しそうだ。でも、そりゃそうだろう。我慢に我慢を重ねて、いつかいつかと願ってきたことがようやく実現できたのだろうから。しかも、東京から熱海という〝ちょいと〟感がいいじゃないですか。それほどまでに、うずうずしてからの、ストロングだったのだろう▼この日の移動は、仕事で新大阪へ行く時などののぞみではなく、各駅停車のこだまだったから、ゆっくりと車窓を彩る富士山が超絶に美しい。あのてっぺんにも企画で登ったことがあるなぁと思い出す。ただの富士登山ではなく、お鉢巡りと呼ばれる火口をぐるっと回るコンプリートでそれはもうはしゃぎにはしゃいだが、復路で膝を完全に壊して、蟻以下の歩みで通常の3倍ほどの時間をかけて下山したのだった▼熱海から1時間20分ほど。豊橋という駅で降りる。いつもの帰省ならこの街からタクシーで帰宅するのだが、なにせ、お楽しみはひとり旅である。電車で行けるところまで行ってから歩いて帰ろうと、名鉄に乗り換えて、国府駅を目指した。こくふと書いて、こうと読む。高校時代の3年間は、自宅からこの街にある高校まで自転車で通っていた馴染みの町。ここから歩いてもいいし、もう1回乗り換えて、八幡駅まで行ってから徒歩ってもいい。はちまんと書いて、やわたと読む。それにしても、いいなぁ、やっぱり、ひとり旅は。どっちでもいいじゃんという、選択肢が自由なのがいい▼ところがふと、そのどちらでもない(そうだ、豊川稲荷に行こう)と思いつき、名鉄伊奈駅で下車しJR小坂井駅を徒歩で目指す。路線図的というか効率的側面からみるのならば、豊橋駅からJRで豊川駅を、乗り換えなしで一気に目指せばよかったじゃんという話なのだが、これぞぶらりひとり旅の醍醐味。JR小坂井駅に到着するや、誰に見せるわけでもなくバックパックを駅のホームの椅子に置いて写真を撮った。斜めから薄いオレンジ色でさしこむ光が美しい。こういう時は間がいいもので、田舎だからさほど本数の多くないはずの電車がほどなくして到着し、飛び乗った。人もまばらで閑散とした豊川稲荷を参拝し、実家に戻ったのは午後3時をすぎた頃だった▼それにしてもなぜ、今回の突然の帰省のきっかけのひとつかもしれないものが、プペルだったのか。実は、つい1週間ほど前まで父親が入院していた。膵臓の痛みによるものだった。手術ではなく検査入院で、患部に癌はなかったのだという。ならばひと安心なはずなのに電話の向こう側の母親の声が心配そうだったので「帰省するよ」と伝えると、電話を変わった父親が「正月でいい。忙しいだろ?」とぴしゃり。昭和な父は、自分のことより息子の仕事のことを慮ってくれたのだろう。「わかった」と私。でも、なぜなのだろう。プペルなのか、カムカムなのか。とにもかくにも、実家に戻った私は家の呼び鈴を押していたのだった▼ピンポンと。「はーい」と母親の声。開くドア。私に気づいて驚く母。それはそうだろう。なにせ、自分でもよく自分の行動理由がわからないサプライズ帰省なのだから。ところが、母親の次の行動は、私のサプライズなど軽く吹き飛ばすほどに強烈だった。「おかえり」の言葉もなく、ただただ、私を抱きしめる母。人生ではじめて母のハグを体験した瞬間だった▼意外なことに父親も上機嫌だった。昔だったら「正月でいいって言ったろ!」と大声で怒鳴ってもおかしくないはずなのに、私が豊川稲荷でお土産に買ってきた、父の好物のみたらし団子をおいしそうにほおばっている。食欲はあるようだから体調はそこまで心配な状態ではないようで、少し安心する。でもだ。激しく反省だ。人は口にする言葉がすべてじゃないと、時に人は言葉とは裏腹な感情を抱えていることもあるとインタビューの仕事を通じて散々学んできたはずなのに、正月でいいはずなんてないに決まっているのに、帰ってくるなと言った父親も「帰ってくるな……なんだってぇ」とつまらなそうにしていた母親も、申し訳ないぐらいにふたりともが、ただただひたすらに、うれしそうだった(唐澤和也)