からの週末20211031(日)
虎と感情(名前はまだない)
▼無、だ。昔のドラマの「ご臨終です」な場面でいうと心電図がフラットになるあの感じ。大海原でいうのなら一切の風がなく藍色の水が水平線まで続くベタ凪とよばれるあの感じ。もし、そんな大海原に一滴の漢字を垂らして二文字にするのなら、虚無、だ▼阪神が負けました。10月26日、今季最終戦の143試合目で、Bクラスの中日相手にまさかの完封負け。この日、マジック2としていたヤクルト・スワローズが別の試合で勝っても阪神タイガースが勝利すれば、ヤクルトが残している2試合の結果次第となるはずだったのに。個人的には10月8日の時点で早々に心が折れかけていたけれど、驚異的な粘り腰をみせていた虎の姿に再び心がふるえはじめる▼それは、たしかに土俵際だった。でも、足腰の強い小兵力士のように土俵際でぷるぷると粘る虎。すでにヤクルトにマジックが点灯していた137試合目から142試合目までは、2つの引き分けを挟んで4連勝負けなしで、なにかが起きそうだった。だからこそ、すべての阪神ファンは、最終戦の勝利を疑わなかった。だのに。嗚呼、だのに。よりにもよって完封負けって。これを虚無らずにいつ虚無るというのだろう▼11月6日からはクライマックスシリーズがはじまる。「各リーグで6球団しかないのに上位3チームに日本シリーズ出場権の可能性があるって、つまり、日本一になれるかもってどうなのよ?」とのアンチな意見もあるシステムだけれど、昨年まではけっこう楽しめていた。阪神タイガースの2年前は3位で昨年は2位。2シーズンともに読売ジャイアンツが圧倒的に強かったから、ダメ元気分で応援できたのに、いまの時点ではうまく気持ちの切り替えができていない。正直、ちゃんと応援する自信がない。ファン失格なのかもしれない▼でも、なんなのだろう、この気持ちは。「虚無」という感情だけではなく、うまく切り替えができない気持ちが複雑に混ざった感情についてである。もしも、この感情に名前をつけるとしたらなんだろうと、ありとあらゆる喜怒哀楽を振り返ってみると、20代前半の頃「将来性のない人とはこれ以上付き合えない」と5年間付き合った彼女にフラれてしまった時の感情に似ているかもしれないと思いあったった▼そうか、そうだったのだなぁ。さっきまで名前がまだなかったこの感情は「失恋」だったのだ。セリーグ優勝を逸したという、優勝失恋。しかも、阪神を主語とするのなら143試合目という大接戦の末の敗戦だから、優勝大失恋だ。振り返れば、20代前半の私は、情けなくも自分をフった女性のこれからの人生の幸せなど願えなかった。さすがに呪いはしなかったけれど、祝うことなどできなかった。そんな大失恋と同様に、この先のクライマックスシリーズを虎が勝ち上がってセリーグ代表となっても、今年のペナントレースで負った失恋の傷は癒えない気がする▼それにしても、いつから私はここまでの阪神ファンになったのだろうか。神宮球場や東京ドームへ応援に駆けつけた試合数は5。戦績は3勝1敗1分で優勝したヤクルトには1度も負けなかった。雨のなか、阪神の4番である大山選手の右中間へのホームランは、雨粒に溶けるように消えていく白球が美しかったなぁ。そんな熱戦を球場という生で見られたのは、虎友・西村くんがチケットを取ってくれたおかげだが、私の虎党生活のはじまりは、2002年に星野仙一さんが阪神の監督になったことがきっかけだった▼ファンと言ってもその頃の私は球場に足を運ぶことはなく、ごくごく軽めのファンだった。唯一、藤川球児選手が見たくて、大阪出張のついでに球場(甲子園ではなかった気がする)へ足を運んで〝火の玉ストレート〟というやつに度肝を抜かれたことがあるぐらい。そういう意味での今年は、サトテルこと佐藤輝明選手の存在が大きい。後半戦はスタメンじゃないことも増えたけれど、サトテルが見たくて球場に行ったようなものだった。テレビ観戦でもそう。たとえ、10対0で負けている試合でも、彼が打席に立つ姿だけは見たいと思わされたし、23本目の本塁打から約2ヶ月ぶりの24本目のアーチでは、対戦相手の広島カープのライト・鈴木誠也選手のはるか頭上を超えていく特大ホームランで「よしっ!」とテレビのこちら側で大きなガッツポーズしてしまう。あのレベルの大声でのテレビ前ひとりガッツポーズは、人生初のことだったと思う▼佐藤輝明選手のおかげで、私はようやくまずまずの阪神ファンになれたのかもしれない。ガチの阪神ファンは本当にすごいから、まずまずで充分だし、まずまずでも、ちょっとうれしい。もしも、クライマックスシリーズで佐藤選手の出番があれば、それはちょっと見たい。虚無かつ気持ちが切り替えられそうになかった大失恋モードだったのに、サトテルには胸踊らされるこの感情はなんなのか。名前をつけるとしたら「復縁」だろうか。いやいや、「浮気」だろうか。どちらもちょっと違う気がするけれど、今回の優勝大失恋は、実際の恋愛でのそれと違って同じ気持ちであろうファンが多くいるであろうことが、孤独じゃなくてちょっぴり救われる(唐澤和也)