からの週末20211023(土)
おもしろいってなんだっけ?2
▼案の定の2です。先週の「おもしろいってなんだっけ?」では今年の『キングオブコント』についての雑観から、漫才には自分なりの美学なんてないくせにコントには一家言あることを思い出したりしたのでした▼そんな『キングオブコント』には印象的な後日談があった。ふだんはお笑いの話をしないタイプの仲のよいデザイナーが、『キングオブコント』を見たという。翌日には雨に見舞われるが、その日はまだ青空の下のキャンプ場での撮影中の雑談だった。その人があの番組を見たのはツイッターでの評判が気になったかららしいのだが、「空気階段、やばかったですねぇ」みたいな会話から突然に「唐澤さんが文章を書く時って、おもしろく書こうとするんですか?」と質問されてしまう。その時のおだやかな青空のように、なるべく平静を装ってカッコつけたことをその場では答えた気がするけれど、なにひとつ〝おもしろい〟返事ができていなかったと思う。てなことを思い出すぐらいだから、おもしろく返事がしたかった私がいたのだけれど(そもそも、そういうところがダメなんだよ!)と時差のある自分へのツッコミをしたのはそれから数日後のことだった▼その前後で、人間国宝の柳家小三治さんがお亡くなりになっていた。私はいわゆる落語通でもなんでもないので氏の実際の生の舞台を見たことすらない程度のうっすい了見ではあるが、偉大な人というのはその後日談が素敵なものだ。小三治さんも、氏を偲ぶ原稿のいくつかがとってもおもしろかった▼そのうちのひとつが糸井重里さんの文章で、こんな内容だった。古今亭志ん朝さん(名人!)のDVDに柳家小三治さんが寄稿されていて、ある日、志ん朝さんと父親であり大名人でもある古今亭志ん生さんの会話を聞いてしまう。「お父ちゃん、落語をおもしろくするにはどうしたらいいんだい?」とストレートに志ん朝さんが聞く。すると、志ん生さんは「そりゃおまえ、おもしろくしないことだ」と答えたのだそうだ。おーーーっと、それですよと。おもしろいについてのパンチライン中のパンチラインですよと。でも、ちょっとだけ遅かったんだよなぁ。もし、この会話のことをあのキャンプ場の質問前に聞いていたら、さも自分の手柄のようにこの会話を紹介できたというのに▼とはいえ、この「おもしろくするには、おもしろくしないことだ」は実は禅問答のようでもあり、実践するのはなかなかに難しい。事実、いまこのコラムのようなものを書いている時、先週は自分が書きたいことを書きたいように書いているから、なにも狙っていないよさがあったように自分では思うけれども、その2、ともなると、狙ってしまう。だから、その2どころか、同じ噺だろうがおもしろくしゃべれる、あるいは演じられる落語家や漫才師やコント師を私は骨の髄から尊敬する。あ、ラッパーもそうだ。ラッパーの本懐は笑いではないだろうけれども、たとえば「負ける自信がない」などと餓鬼レンジャーのポチョムキンさんがラップするように、かっこいいこともおもしろい▼なーんてことをようやく気取らずに書けたのは、ずっと気になっていた「ほぼ日の學校」でようやく見られた鶴瓶さんがこんな授業をされていたからだ。「もっと、おもろくなりたい」。えーーー!? すでにあんなにおもしろい人なのに、まだなの!? でもまぁ、後輩であるはずのダウンタウンさんの番組に出てその言葉を叫んだ鶴瓶さんですもんね。俺なんてもっともっとまだまだまだであります。あぁ、そういえば、ヒップホップ界の私の四半世紀以上のスパースターであるライムスターさんは、武道館のライブを経たあとのインタビューで3人が3人とも「まだなにも成し遂げてないですから」と語っていたっけ。それとは別のインタビューでのMummy-Dさんはおもしろいとほぼ同義の意味での「ユーモア」について教えてくれたことがあって「ユーモアのないものはセクシーじゃない」と音楽家らしいパンチラインをさりげなく口にしてくれてたっけ。とりあえず(俺はなにをなぜおもしろいと思うのだろう?)と考えてみるのは、おもしろい。そういう意味で、いまふっとそのことについて考えたのは、なぜだかはわからないけれど私が好きなデザイナーさんは揃いも揃ってみんなインタビュー(質問)がうまいんだよなぁということ。なんなんだろ、あれ?(唐澤和也)