からの週末20210829(日)
三軒茶屋の黄色トイレと武蔵小山の大家さん
▼人は部屋を借りるとき、なにを基準に決めるのだろう。駅からの徒歩距離。陽当たりのよさ。オートロックの有無なんてのもありうる。私がかつて住んでいた三軒茶屋のマンションの最終的な決め手はトイレだった▼古い学校のトイレのような無機質でシンプルな木の扉を開くと、黄色い便器が備え付けられていた。黄色。トイレの便器が黄色。人はマンションの便器がその色と聞いて、いかほどまでの黄色をイメージするものだろう。三軒茶屋のそのマンションの場合、まっ黄色だった。間違ってもクリーム色と呼べるような曖昧な代物ではなく、熟れたバナナの皮のごとくの完全なる黄色。私は思った。バカっぽいと▼そんなバカっぽい黄色のトイレで、いったい何冊の本を読んだことだろう。一番お世話になったのは漫画で、なかでもこのトイレに一番ハマっていたのは『バカ姉弟』だったと思う。『さくらの唄』『お天気お姉さん』などで知られる天才・安達哲による、単純にギャグ漫画とは括れない、ゆるい異色作。登場人物は、姉と弟。そして、「よ、姉弟!」「ご姉弟!」などと姉弟に声をかけてくる巣鴨の街の住人たち。バカ姉弟は、バカっぽいが、バカではない。むしろ小さな悪知恵が働くところが可愛らしくて大好きだった。コミックスの5巻が出たところでパタリと音信不通状態だった記憶があるが、『総天然色 バカ兄妹』として続刊がリリースされていたことをいま知った。ちなみに、本日の相場では、中古本価格が4000円前後と高い。だが、読みたい。こうなりゃ、漫画はやっぱり紙でしょうと距離を置いていた電子書籍か? 迷う。とりあえず、保留にしようと思う▼保留といえば、いごこちがよすぎて、干支がひと回りするほどに長いこと借りていたのが、武蔵小山の部屋だった。トイレの色はふつうだったが、日当たりよし、間取りよし、そして大家さんよしだった。1階が大家さんの自宅で、のべ何食のお裾分けをいただいたかわからないぐらいお世話になって、もはや東京のおふくろの味状態に。しかも、2年ごとの更新料が新家賃の1ヶ月分ではなくて、2万5000円ぽっきりだった。抵当付き物件とかいうやつで、もしも大家さんがなんかしらの支払いが滞って、この家全体が差し押さえになった時はすぐに出て行かなきゃいけないとかの条件はあったけれど、その格安更新料は魅力だった▼しかものしかも、ある時になかのよい知人が引っ越しをしようと探した部屋が大家さんの所有している別の物件で、挨拶のために大家さん宅を訪ねた時に(あれ? 唐澤さんの家じゃん)となる。その知人は私の家に何度か遊びに来ていたからだ。知人は関西人で、フランクで知られる関西ピーポーのなかでも群を抜いて人あたりがいい男だったので、大家さんにもすぐに気に入られて契約成立かつ家賃交渉にも成功。そのついでに私との関係を知らせた上で「唐澤さんの家賃も下げてくださいよ」となぜか追加交渉してくれ、なぜかのなぜか、大家さんも快諾して更新のたびに1万円近く家賃が下がっていった。ありがたかったけれど、理屈上はいつか無料になってしまうという、いま振り返っても意味不明な家賃の値下げだった▼てなことを振り返っていたら、無性に引っ越したくなってきた。28歳でフリーランスのライターになってからずっと自宅兼事務所な賃貸状況だったけれど「そうだ、事務所持とう」と例の京都の広告ばりに思いたったのが2018年のこと。スタッフも使う事務所は、まぁそれなりにな物件だと思うが、自宅は「事務所から徒歩10分圏内」「陽当たりよし」ぐらいしかこだわりがなかった。とりたてて不満があるわけではないけれど来年2月には2度目の更新が控えているし、黄色いトイレとか、やさしい大家さんとか〝キャラだち物件〟が懐かしくなってきた。よし、「そうだ、引っ越そう」ぐらいの軽いノリで、引っ越しすることを2021年の残りの目標にしていこうと思う。とりあえず、トイレは黄色じゃなくていいけど(唐澤和也)