からの週末20210809(月)
オリンピックパンチライン

▼車いすマラソンの選手が、自分をサポートしてくれている人物に言う。「100%自分のためにやっていることがな、巡り巡って、どっかの誰かをちょこっとだけでも元気づけてたら、それはそれで幸せやなぁって」▼昨夜の閉会式をもって、東京オリンピックが終わった。とかいいつつ、冒頭のパンチラインは現実のものじゃない。いつの間にやら視聴習慣化している朝の連続ドラマ小説の『おかえりモネ』からで、サポートしている人物が主人公のモネ=永浦百音、演じるのは清原果那さん。車いすマラソン選手役を世界的なダンサーでもある菅原小春さんが演じていて、上肢のみの過酷な競技をささえる筋肉を、さすがの肉体的説得力で表現もしている。巡り巡ってとか、ちょこっとでもとか、とっても謙虚で、そこがいい▼そんなパンチラインから、ふと思い出したのは20年ほど前に聞いた、ある詩人の言葉だった。ふたりともが野球好きでそこからつながった雑談だった。詩人が言う。「ピッチャーはバッターを打ち取ることに100%全力で、観客のことなんて一切考えてへん。でも、無視されとるともいえる観客は、応援しているピッチャーが三振でもとった日には大歓声を送るわけやん。そこがすごいなぁって」。偶然だが、その詩人の口にする言葉も関西弁だった▼『おかえりモネ』のセリフとその詩人の言葉は同じ方向を向いていると思う。『おかえりモネ』には、この言葉の前に「あなたのおかげという言葉は麻薬」に集約されるエピソードもあった。もっと言えば、主人公のモネが誰かのためになったことがうれしいと感じている様にはっきりと違和感を示し「誰かのためにって結局は自分のためでしょ?」とズバリ直球な言葉を投げかける先輩もいる。おそらくその先輩からすると、モネの言動が綺麗ごとに感じられたのだろう▼綺麗ごと。受け取る人の経験や考え方や感じ方によって、定義づけが変わる、まったくもって簡単ではない言葉。現実のオリンピックでは100%自分のためにやっているであろうアスリートでも、ほぼ100%の人がまわりのサポートへの感謝の言葉を口にしていた。その感謝の言葉だって、綺麗ごとだと感じる人もいるだろう。でも、劇団時代に裏方を経験している私は、彼らの感謝の言葉に素直にぐっとくる。だって、その言葉を聞いてうれしくて涙を流している裏方的人たちの姿を瞬間的に想像できてしまうから。おそらく、オリンピアンに選ばれるほどの一流のアーティストは、100%自分のためにやるためには誰かが助けてくれなきゃ絶対に無理ということをここに至るまでの経験で嫌というほど知っているのだろうとも思う▼コロナ禍による緊急事態宣言下の東京オリンピック。さかのぼって開催以前のこと。開催反対か賛成か。私の答えは「わからない」だった。なんとも頼りなく大人気もない答えだけれど、わからないからこそ、いざ開催が決まったのなら自分がなにをどう感じるかを忘れずにおこうと思った▼一番感じたことは、己の単純さだった。バカさ加減と言ってもいい。精一杯に自分をけなさないようその言葉をいいふうに使うとすると『もののけ姫』の主人公・アシタカを評して語られる「バカには勝てん」的バカさ。結局、根がスポーツ観戦愛好者なのだ。元体育会系で現スポーツ漫画好きなのだから、五輪という真剣勝負がおもしろくないわけがなかった▼もうひとつ印象的だったのは〝聞こえてくる声〟が開催前のコロナにまつわるそれとは真逆だったということ。聞こえてくる声の主はマスコミだったりするわけだが、オリンピック開催前のコロナ関連では「俺が俺が」「私は私は」「俺はこう思う」「私の意見はこうだ」という主観や主義のぶつかりあっているように感じていた▼ところが、オリンピックでは「あの選手は」「この競技では」と、アスリートや競技の結果や物語にまつわる声が聞こえてきた。アクションとリアククションと言ってもいいし、主人公と伝達者と言い換えてもいい。オリンピックの主人公をアスリートとするのなら、マスコミは日々アクションする(メダルを競う)選手たちへのリアクション(伝達)していたのだと思う。テレビというメディアでリアクションをするのはアナウンサーだけでなく、柔道の松本薫さんなど解説者にも素晴らしい人選が多かった。活字媒体の専門ライターも、丹念な取材の賜物を「知られざるあの勝負の裏側」などとしてリアクションしてくれていた。毎日、その記事を追いかけるのが楽しみだった▼さて、オリンピックパンチラインである。スポーツ関連に絞り込むならば、さりげなく耳元に届く名言が好きだ。もちろん、スティーブ・ジョブズの名言のように講演などでまっすぐに語られる声高な名言も素晴らしいとは思うけれど、その人がいいことを言おうとしていないというか、説教くさくなくというか、さりげないものがより沁みる。『スラムダンク』の安西先生だって「あきらめたらそこでゲーム終了ですよ」という名言を声高になんて叫んでいない▼そういう意味では、こんなパンチラインで今回は終わりたいと思います。サーフィンで銀メダルを獲得した五十嵐カノア選手はクールにさりげなくこう言いました。「準備すること、成長することは一生できることなので」。まるで音楽フェスのように五輪があったからこそ知れた競技からの言葉は、深くておっさん自身もがんばろうと思える名言でした(唐澤和也)