からの週末20210731(土)
目黒区在住出版関係者、54歳無鍵
▼月曜日の夕方、夏バテ気味でウナギを食し、水曜日の夜、鍵をなくして途方に暮れました。みなさま、お元気ですか?▼新聞記事などで「目黒区在住54歳、無職」などと同世代の事件報道を目にするとなんともやるせない気分にさせられるが「54歳、無鍵」もかなりのやるせなさだった。あるはずのものがそこにないという衝撃。右ポケットにあるはずの2つの鍵がひとっつもないという絶望。ポケットが浅い夏仕様の薄手のパンツのせいなのだろうか。それにしても、ごっついキーホールダーにつけられた2つの鍵がいつこぼれ落ちたのか見当がまったくつかない▼2つの鍵とは事務所と自宅のことなのだが、もう少し早く打ち合わせが終わっていれば、少なくとも事務所には戻れていた。スタッフの山岡が21時まで働いていたのだから。だがしかし、その夜は21時から代々木上原で打ち合わせが始まっており、事務所のある祐天寺に戻ってきたのは22時30分頃。鍵なき子は家なき子となる▼鍵のないことに気づいたのは改札を抜けて「さてさて、晩飯はなににしようっかな?って、こんな時間だから選択肢も少ないけどな!」と呑気なひとりツッコミを繰り広げていたタイミングだった。21時の打ち合わせ前はバタバタしていて食事を済ませられなかったのだ▼こういう時、人間というヤツは都合がいいもので、まず、こう思った。(いまさっき、落としたのかもしれない)。急いで改札に戻ると、祐天寺の駅員さんが親切な人で「すぐに鍵の届け物がないか調べます」とのこと。同時進行でいま降りていたばかりのホームから改札までをくまなく探すも、もれなく無鍵。親切な駅員さんの確認も空振りだった。さぁ、どうする、54歳の家なき子よ。明日は9時半から南町田のスタジオで撮影の立ち会いである▼鍵はなくとも腹は減る。途方に暮れながらも、そういえば祐天寺にビジネスホテルがあったなと歩いて訪ねてみるも「すみません、満室です」。部屋が満ちていることにますます腹が空となったのだが、人間というヤツはこういう時は食欲よりも〝宿欲〟が勝るものだ▼その欲望の順番は、人間というよりも個人的な経験故かもしれなかった。2年前のゴールデンウィークのこと。突然に、甥っ子がICUに担ぎ込まれた知らせが届き、東京から名古屋に駆けつけた夜があった。その夜は、病院近くの宿という宿が満室で、何十年かぶりの漫画喫茶泊となったのだった。横になれるタイプの部屋を選んだものの、朝までずっと漫画を読んでいてそれはそれで楽しかったが、翌日は絶不調だった。のちに甥っ子はすっかり元気になったのはよかったけれど、あの感じは嫌だったなぁ。しかも今週はウナギを欲するほどにバテているし、まずは空腹よりも宿だ▼祐天寺のホテルはその1軒しかないから、隣りの学芸大学という街で見当をつけてみる。「クラスカ」というホテルがレストランも含めて人気だったが、昨年12月に惜しまれながら閉館した。ならばと、なぜか過去の鍵を落とした夜体験を脳内検索し始めると、ブラックマヨネーズが優勝した年の M-1グランプリの取材終わりでも鍵をなくしたことがあったなぁと思い出す。あの時は当時住んでいた武蔵小山から目黒まで戻って、その夜をやりすごしたのだった。今日も目黒か? いや、明日の南町田へのアクセルの良さを考えると渋谷なのかな? いっそのこと町田まで行っちゃうか? いやいや、三軒茶屋だった▼スマホの検索で、かつて住んだこともあり、いまでも後輩との打ち合わせなどでよく行く馴染みのある街・三軒茶屋にホテルがあることを知る。空室あり。電車に乗る気力もなく、タクシーを走らせた▼そのホテルはびっくりするぐらいの狭さでこれで7000円はいかがなものかではあったけれど、とにかく無宿ではなくなったのがなによりだ。すっかり遅くなったけれどコンビニ弁当もゲットした。一緒に頼んだはずのからあげクンが入ってないけど、もういいや。酒の弱い私は、こういう時は350ミリ缶のビール1本で充分なのだが、まさかの2本を飲み切って就寝したのが深夜0時ぐらいだった▼そして7時間後。ぐっすり眠ってすっかり回復すると、ふとこんな言葉が脳を横切るのだから、人間ってヤツには疲れが大敵で睡眠が大切だ。(そもそも、昨日事務所を出る時に鍵を持っていたのだろうか?)。そして3時間後。南町田のスタジオから事務所の山岡に電話して確認してもらうと「ふふふ。ありますね、鍵。ふふふ」と笑われた。なぜか、笑われたことがうれしかった。後日、彼女の机の上に置かれていた〝ばかうけ〟というお菓子には、これまたなぜか54歳無鍵をバカにされた気がして黙ってひとつを食ってやることになるのだが、なにはともあれ、私は54歳無鍵から卒業したのだった(唐澤和也)