からの週末20210717(土)
霧雨に消えていった白球
▼自分の平熱がずいぶんと低いことを知った。いままさに大規模なブツ撮り撮影が絶賛進行中なのだが、例の感染症対策としてスタジオ入りの朝イチで体温チェックがある。35度8分、35度9分、35度9分、36度。こちらが、編集立ち会い4日間の私の体温。都合4度のチェックからわかったことは、36度前後が平熱ってこと。成人男性あるいはおっさんの平均平熱ってやつを知らないが、たぶん、低い。そんな低めの体温がグッと上がっていたであろう瞬間があった。7月8日木曜日のことだった▼その日も撮影の立ち合いだった私は「いやぁ、すみません。どうしてもな打ち合わせがこのあとあって」などと、まだ予定する撮影が残っていたというのに、夕方の6時にはスタジオをあとにしていた。関係者の皆さま、すみません。打ち合わせというよりも打ち合いといいますか、どうしても見たかったんです、阪神ヤクルト戦を▼南町田の撮影スタジオから、神宮球場へと電車で向かう。その途中でも、携帯アプリでの観戦は欠かせない。試合はすでに夕方の5時半から始まっていた。その前からずっと雨が落ちている。今シーズンは、感染症対策の一環として9回で試合は終わり、延長戦はない。急げ、東急田園都市線よ。あ、阪神のマルテという3番バッターがホームランを打った。それが2回の攻撃で続く3回にも追加点を加え、阪神が2対0とリード。急げ、銀座線よ(乗り換えた)▼神宮球場でも検温があり、チケット〝にしむら〟が手配してくれた席へと向かうと、試合前の練習から見ていた筋金入りの阪神ファンが不機嫌な表情で応援を続けていた。4回裏に3本の2塁打などで、阪神の先発・ガンケル投手がボコられ3対2で逆転されていたのだ。酒も飲めず(現在のプロ野球観戦は禁酒だ)阪神も逆転されて、不機嫌だった西村くんに笑顔が戻ったのは、ひとりじゃやってらんなかったからだろう。「はい、これ」と、西村くんが笑顔で差し出したのは、観戦用の簡易ガッパ。私の分もコンビニで買っておいてくれたらしい。「彼女か!」。ありがとうの代わりにそんな言葉を口にする▼西村くんとは30年以上の付き合いがある。大学生時代の練馬のバーでアルバイト仲間として知り合ったのがはじまりで、偶然にも同じ歳で気があった。くそ貧乏だった劇団時代は「腹減ったから、飯付き合ってよ」とこちらが気遅れしないように誘ってくれた。24時間365日もれなく腹ペコなのも知っているから必ず食べ放題のお店を選んでくれて「俺が誘ったから」とおごってくれるようなやさしい男だ。親子二代の理容師でもあり、東京で自分のお店を構えるまでになったが諸事情で地元に戻る。地元では父親のお店で一緒に働くも考え方が違ったのか、30歳のある日に「家出をしてきました」と我が家に押しかけてきて居候となったこともあった。私好みに塗り替えられてる気もするけれど、私の記憶でのその時の西村くんは「僕を探さないでください」とベタな置き手紙を残している。当時の私はのちに結婚する女性と同棲生活中だったのだが、朝の4時に仕事を終えてクタクタになって戻ると「おかえりー!」「おかえりー!」とふたりの明るい声がハミングしたものだった。こちらとしては風呂に入って即眠りたかったが、彼女と西村くんのその1日の出来事を延々と聞かされるという奇妙で貴重な生活を経験させてもらったりもした▼さて、雨の阪神ヤクルト戦である。これがまぁ、絵に描いたような凡戦が続いていた。阪神の先発・ガンケル投手は3失点以降はなんとか踏ん張ってはいたが、いかんせん低調な打線が凪いでいる。打てない、点がとれない、盛り上がらない。だのに、雨は降り続けていた▼こりゃ最後までこんな感じなのかなぁとあきらめかけた8回の表。相手選手のエラーをきっかけにランナーがたまるも、すでに2アウト。だがしかしのしかし、梅野の執念の同点タイムリーで1点。盛り上がる西村唐澤友達歴30年以上のおっさんズ。さらになんとのなんと、4番だったのに結果が出ず7番に降格されていた大山が、3球目のストレートを振り抜くと打球は霧雨を引き裂いてそのままライトスタンドへ。逆転の3ランホームランだ。大興奮のおっさんズ。個人的にはこの日一番体温があがったのはこの瞬間だったと思う。ヤクルトも8回の裏に2点をあげるなど粘りを見せたが、抑えのスアレスが締めくくって勝利。ライブで観戦できたのが大きいけれど、首位で前半戦を終えた阪神タイガースのベストゲームのひとつであった▼あれから、一週間とちょっと。関東地区の梅雨もあけて、いまこの原稿を書いている東京も青空全開で気分がいい。チケットにしむらからは、9月の神宮と東京ドームのチケットを狙っているとの連絡が届いた。その頃は、無観客かもしれないし、それ以上に世の中が大変なことになっているのかもしれない。でも、そういうことはその時に考えようと思う。楽しみがある。その楽しみを心待ちにする日々がある。そのこと自体に罪はないのだから(唐澤和也)