からの週末20210618(金)
6.11キロ47分51秒539カロリー

▼「なぜ山に登るのですか?」と問われて「そこに山があるから」と答えた登山家のジョージ・マロリーのパンチラインは、どうやら誤解されて世に広まったようだ。通説としては、ある種の哲学的な意味を見出されており「なぜカレーライスが好きなのですか?」「そこにカレーライスがあるから」といった具合に、別にたいした会話でもないのにちょっといいことを言ったふうに聞こえる〝使えるワード〟として重宝されている。たしかに、マロリーが問われた際の「山」が抽象的なものだったら哲学的な答えに違いないのだろうけど、実際は超具体的に「エベレスト」を指していた。しかも、当時のエベレストは、まだ誰も登頂制覇していない前人未到の地。ならば「誰も登ったことのないエベレストがそこにあるんだから、そりゃあ命がげでも登るでしょ!」と意訳できるわけで、超リアリスティックな答えだったことになる▼「なぜ、おっさんは走るのですか?」。この場合のおっさん=私と具体的な場合、ちょっとわからなくなってきた。きっかけとしては「一週間限定・村上春樹体験」という企画のためだった。それが4月の末ぐらいのこと。春樹先輩が1日1時間ほど走ったり泳いだりすると知り、25分走って35分歩くぐらいからはじめて、最近では50分間ほど走って10分歩くといった割合になってきた。1ヶ月半ほどで、単純に倍くらい走れるようになったわけで、うれしくなくはない。けれど、ふと思う。あれ? 俺はなんのために走っているんだっけ?と▼がんばればいま見えてきた電車に間に合って乗れる、という時は走った。これは目的がある。おなかの具合が急に悪くなって、家までトイレを我慢できるかなぁという時は、刺激を与えぬよう静かに小走った。無念にして情けなくも間に合わなかった時だって、結果が伴わないだけで目的はあった。50歳にしてはじめての富士山登山に挑戦する3ヶ月前からトレーニング目的で走ったこともあるし、もっとさかのぼって体育会系少年だった時も、ざっくり言えば試合で勝つために走っていた。でも、いまはなんで走ってるんだっけ?である▼たぶん、人生ではじめて目的もなく走っている。そして、ものすごーーーーーーく気恥ずかしいけれど、走ることが気持ちいいのだと思う。あ、言っちゃった。いや、言っちゃってもいいことだし、ランニングやジョギングが気持ちいいというのは、わりとふつうの感覚だ。ところが、このおっさんは中途半端に競技経験者なのがいけない。走るということでいえば、中学生時代の3年間でそれこそ盆も正月もなく走らされた。正月の元旦マラソンも強制参加で、1年のはじまりの日だというのに10キロも走らなきゃいけないのが嫌で嫌で本当に嫌だった▼ところが、じゃあ走ること全般が嫌いかというとそんなわけもなく、好きだったからこそ続けられたはずで、ものすごく好きな瞬間もあった。それは、ひとりで自主練的に走っている時のこと。田舎道なのでアップダウンが激しく、その下り坂の勢いに任せて(これ以上はヤバい! 体がついてこなくてコケるかも!)というリミッターも無視して激走すると、風になれるのだ。あ、言っちゃった。なんだよ、走ると風になれるって。少年漫画の主人公か。ただまぁ、おっさんになったいま書くから気恥ずかしいだけで、当時の体育会系中学生男子としては純粋にその瞬間がたまらなく好きだった▼だからこそ、なのです。だからこそ、おっさんとなったいま、50分間走れるようになったとはいえ、その速度たるや、亀じゃんと。たとえば上空からなにかしらの手みたいなものが舞い降りてきたとして、ちょこんと私の頭を抑えただけでたぶん止まるほどに動力として弱く、速度としてのろい。風になんて1秒たりともなれやしない。でも、だからこそ不思議なのだ。中学生のあの頃のようには走ることが気持ちいいわけではないけれど、でも気持ちいいのはなぜだろうと▼関東地方は例年よりも遅れて梅雨入りとなった。私はジム通い派ではなく外走り党なので、雨の日は走れない。そんな今週の火曜日。朝起きると晴れていて、そりゃあ梅雨時でも毎日雨が降るわけでもないしなぁとぼんやりと思った次の瞬間着替えていた。ランニング仕様に。そして、走った、亀の如くに。朝からヘロヘロになってその日の仕事に支障がなきにしもあらずだったけれど、やっぱり気持ちがよかった▼なぜ走るのか。その理由はよくわからないけれど、ここはひとつ、マロニー先輩の誤解されてるほうのニュアンスでいいやと思う。なぜ走るのか。「そこに道があるから」。梅雨時なのに今日も晴れている(唐澤和也)