からの週末20210528(金)
人生最後に見たい映画はなんですか?
▼もしも、死ぬ前に映画を1本だけ見られるとしたら? そんな質問を酒席などで繰り返していた時期があった。生まれてこのかた映画なんて一本も見たことがないのです、などという御仁にはめったに出会わないので、オールマイティにまぁまぁ盛り上がる雑談の種だった。雑談だけに終わらず、雑誌の企画で「ラストシネマ」として特集されたこともあったっけ。印象的だったのは、選ばれた作品よりも、選んだ理由だった▼超のつく映画好きな人々は、自分がなぜその映画を好きで、だからこそ最後に見たいといった、作品寄りのチョイスが多かった。他方、映画は好きですけれどもたしなむ程度でしてな人々は、作品寄りではなく自分寄りでの選択となる。たとえば、自分が一番多感な時期に見た映画だからあの時映画館でドキドキした自分の思い出を込みで最後に見てみたいといったふうに▼かくいう私は、たしなむ程度&自分寄り派で、選んだ映画は『羊たちの沈黙』だった。じゃあ、どんな感じの自分寄りかというと、時は1991年、世はバブル末期、せっかく入った会社を3ヶ月でやめたその日、学生時代にバイトしていたバーの常連さんの言葉=「サラリーマンがなんでネクタイをしめるか知ってるかい? 私にはご主人様がいますって飼い主の証だからだよ」をご都合主義にもほどがあるほどに都合よく思い出して、ゆるめたネクタイをゴミ箱に捨てる私がいた。池袋駅のゴミ箱だった。後日、無職となり、とほほと途方に暮れているところを「スーツ、いらなかったら売ってよ」と友達がかなりいい値段で買い取ってくれた時に<ネクタイも売れたじゃん!>と後悔するとも知らずに▼そんな後日談もありつつ、ネクタイをゴミ箱に捨てた瞬間は〝決まったぜ、俺!〟と悦にいっており、自宅には戻らずに映画館を目指していた。あれは何時だったか。退職の挨拶をしようと思ったら「ほかの若手社員に悪影響だからすぐに出てってくれ」と挨拶すら許されずに最後の出社を数分間で終えた私。昔のドラマで「腐ったみかん」と叩かれた不良少年を思い出しつつ、怒りとやるせなさで池袋駅に着いたのはまだ午前中だったと思う▼そんな感じだから、作品はなんでもよかった。だからたまたま選んだ映画だった。ところが、そのたまたまが強烈だった。バッファロー・ビルというサイコパスな殺人鬼が強烈だったのだけれど、主人公・クラリス(ジョディ・ホスター)と奇妙な共犯関係を結ぶレクター博士(アンソニー・ホプキンス)が、さらに強烈だった。その強烈さがたまらなくおもしろかった。『羊たちの沈黙』は、翌年のアカデミー賞で作品賞をはじめとする主要5部門を独占し、のちにサイコスリラーと呼ばれるジャンルの草分け的存在となっていく▼サイコでスリラーなので、グロくておぞましくもあり、間違ってもハッピーな映画ではないのに、人生最後の1本として見たいのには、さらなる自分寄りの物語が続くからだ。たぶん、この時に見た映画が『羊たちの沈黙』でなければ、私の人生はいまのようにはできていない▼無職となり、生活の糧のために学生時代のバーでのアルバイトをしていたのだが、その店にのちに私の師匠となる人が飲みに来るようになる。当時の師匠は、組んでいたお笑いコンビを解散し、放送作家としての活動を始めた時期だった。「唐澤くん、最近見ておもしろかった映画とかある?」。その夜、師匠がぼそっと話しかけてきた。「『羊たちの沈黙』です」「ほぉ〜!」。いや、ほぉ〜!とは言っていなかったと思うけれど、師匠は好リアクションだった。なぜなら、まさにその日『羊たちの沈黙』を映画館で見て、おもしろいと感じて、ふらりとそのバーに飲みに来たのだから▼その会話きっかで師匠が主宰する劇団の裏方となった私は、それ以前と以後とで、人生がくっきりと変わったのだと思う。言うなれば『羊たちの沈黙』以前と以後。もしも、本当に人生最後の一本で『羊たちの沈黙』を見たのなら、腐ったみかん扱いのことや、ネクタイは捨てちゃダメだよとか、師匠への感謝とか、映画以外のことばかり思い出すのだろうか▼ただ、一番最初にこの雑談質問を考えた頃から月日を重ねたこともあって、人生最後の映画ならば、グロくもおぞましくもサイコでもなく、もうちょっとポジティブなもののほうがいいような気がしないでもない▼そう、油断も隙もなく、月日は重ねられていく。2021年は『羊たちの沈黙』30周年記念でもあるという。米BBCでは『クラリス』という主人公の名を冠したタイトルでスピンオフ作品が放映されたそうだ。日本でも見れるのかなと登録しているサブスクをいくつか検索してみると『ルパン三世 カリオストロの城』と『素晴らしきかな、リス!』という作品がひっかかった。前者はヒロインがクラリスという名なのでわからないでもないが、後者はリスしか合っていない。でも、と思う。案外と人生最後の一本としては、『ルパン三世 カリオストロの城』は悪くないし、『素晴らしきかな、リス!』も意外と、本当に意外と、悪くないのかもしれない(唐澤和也)