からの週末20210521(金)
土曜日は主に泣いてます

▼人間の体が主に水でできているように、阪神タイガースの扇の要が主に梅野選手であるように、ここのところの土曜日は主に泣いていた。まだ終わってない3月の時点で、フォーエバーとまで称えた『おちょやん』のせいである。先週末に見事な大団円を迎えたから、これがロスってやつかと今週の土曜日は淋しいのだろう▼『おちょやん』に限らず、年齢とともに涙もろくなっているのはたしかだ。老化現象のひとつだとか、人生を重ねることで共感力があがって涙もろくなるだとか諸説あるようだけれど、この件には個人的な仮説がある。それは、トレードに出した感情があるのではないかということ。「涙」というカードを得るために、私の手のうちから代わりに差し出したもの、それは「怒」だったような気がする▼土曜日といわず毎日毎日年がら年中、主に怒っていた時代の私はキレ澤という不名誉なあだ名でイジられるほどに、それはそれはよく怒っていた。いま振り返ると〝よくもまぁ、そこまで怒れるね!〟と思う。逆の視点で、キレ澤時代からいまをみると〝よくもまぁ、そこまで泣けるね!〟とツッコミたくなるはず。要は、どちらからどちらを見るかだけの違いで、「怒」と「涙」の量が、ほとんど同じぐらいではないかという仮説▼ふと思う。〝あの頃の僕たちは泣く代わりに怒っていて、いまはキレる代わりに涙を流すのかもしれないね?〟。って、いやいや、違う。突然の主語変更で、しかも僕ならばともかく僕たちって、なにをかっこつけてまとめようとしてるんだ、元キレ澤くんよ▼正直にこう思う。主に怒っていた時代の私は、いろんなことに自信がなかっただけなんだよなぁ。だから怒ることで自分や自分のやり方を守ろうとしてただけ。いやはや、カッコつけてて逆にカッコ悪いことの見本のようなダサさであった▼とはいえ、もしもキレ澤くんをかばってあげるとすると「怒」という感情には、なにかを始めたり、なにかを生み出す原動力にもなるということ。「涙」を流すという行為にはストレスをデトックス=洗い流す効能があるようだが、同じ液体でたとえるなら「怒」の効能はガソリンだ。メラメラと燃え盛る感情にたらせばあら不思議、どかんとなにかが生まれる、こともある。こともあるし「怒」を原動力にして人生を切り拓いてきた人もいる。キレ澤くんもそのひとりだったらいいのだけれど、先述した通り、彼の場合は自信がなかっただけだった。ただ一度の例外をのぞいては▼その例外とは、ある出版社のある対応にムカついての「怒」だった。予定では3冊出るはずのムック本が売り上げ不振により継続が厳しくなる。廃刊である。そして、そのムック本は出せないけれど別企画のものなら出版できる可能性が浮上する▼そんな流れで、さてさて、キレ澤くんはいったいなににムカついていたのか。その編集部には若手のライターが集まっていた。自分はいい。幸いにもその媒体以外にも仕事があったから。でも、仕事のない若手ライターはどうするんだ? あなたたち出版社がスタッフとして集めておいて売れないからってなんの保証もなく解散ってそんなバカな話があるか!……という怒りだった▼さらに、当時のキレ澤くんは若さゆえに真っ直ぐだった。その怒りをガソリンに〝よし、絶対に売れる企画を考えてみせる!〟〝もし売れたらこのムック本もまた出せるかもしれない!〟と燃えに燃える。当時はエンタメ業界にどっぷりな時期だったので〝この人でこの切り口のこの企画だったら売れる!〟と自分なりのヒット企画を3本考えて提出して、そのうちの1本が見事にヒット作となる▼そのヒット作はずいぶんと時間をかけて作ったから、例のムック本はその企画が当たる前に廃刊が決定した。つまり、キレ澤くんの〝ムック本の廃刊を救う〟ための怒りは報われず、むしろ、出版社からはヒット作をありがとうと感謝されてしまう。単語でつなぐと、怒って売れてありがとう、だ。なんだかもうよくわからない展開だった▼いま振り返れば、その出版社が悪いわけではないとすぐにわかる。売れないムック本を作ったメンバーには、間違いなく自分も含まれるのだから。それに、その出版社の編集者のひとりは面倒見のいい人で、若手ライターたちに別の仕事を振ったりするなど、ちゃんと彼らのその後を考えてくれてもいた。つまり、キレ澤くんが直情すぎるよという話なのだが、ただ、その時の「怒」が自分や自分のやり方を守るためじゃなく、若手ライターという他者のためだったということに注目していただきたい。「怒」にもいろいろある。怒る人にもいろいろある。もしも、ポジティブな「怒」なんてものがあるとすればそれは、自分のためではなく人のために怒るということ▼あぁ、そうかといままさに思う。その条件を満たしていると即座に思い浮かんだ人が『おちょやん』の主人公・竹井千代だったのだ。あぁ、そうか。キレ澤くんは人生で一度しかできていないポジティブな怒りを彼女はずっと体現してきたのだなぁ。そりゃあ自分の怒りを全開にさせたこともあるけれど、常に誰かのためになにかに怒る千代に、みんなが励まされていた。そういう人の人生だからこそ、土曜日の私は主に泣いていたのだ(唐澤和也)