からの週末20210508(土)
一週間限定・村上春樹体験①
▼足音に敏感になった気がする。早朝5時ちょっとすぎ。ゴールデンウィークで静かな街の早朝は、さらなる静寂がふつうだった。見かけるのは、犬の散歩中の人々ぐらいなもの。凛として静。そんな静寂を切り裂くように、タッタッタッと軽やかな足音がする。若者ランナーだ。自宅から事務所に向かって歩いている私を、軽快に追い抜いていき、その後ろ姿は見る見る小さくなっていく▼しばらく歩いていると、ドタッドタッドタッと重々しい足音が耳元に届く。おっさんランナーだ。タッとドタッを比べるに「ド」が一音加わるだけでずいぶんと滑稽な音色になるもんだ。私の背後から近づいてくるその滑稽な音はなかなか追い抜いてくれず(遅いから)、泥沼で溺れているかのような鬼気迫る呼吸音が近づいてくる。それでも走ってはいるので、徒歩の私に並び、追い抜き、ぬるりぬるりと距離をとっていく。酸素に飢えた金魚のようにパクパクと必死に呼吸を荒げて走るおっさんランナー。あぁまでしてなぜ彼らは走るのか。無理しなきゃいいのに。そんな違和感を抱く人も多いだろうが、私には痛いほど彼らの気持ちがわかるのだった。走っていたのだ、私も。ドタッドタッドタッと滑稽な音色を響かせて、ゴールデンウィークの街を。そうまでしてなぜ私は走ったのか? 村上春樹先輩のせいだった▼振り返れば、この連載のようなものは、昨年のKKJS(緊急事態宣言)が解除された頃から始まっている。金曜だったり土曜だったり日曜だったりはするが、基本的に毎週末に1本書くことを決めた。〝週末って毎週やってきやがるんだなぁ〟と当たり前のことを思うほどに追い詰められることもあったが、始めるタイミングとしてはベストだったように思う。なぜなら、記念すべき初回の原稿は、1500字程度という短めな内容にもかかわらず〝暇だ〟と4回も書くぐらいに暇だったからだ▼もうひとつ、その頃に始めたことで、タイミングとしてはベストだったのが禁煙だった。KKJS解除以降、酒席の類で同席した喫煙者からの「1本、いっとく?」的な誘惑が一切なしという幸運。東京都の条例で座席で喫煙できる飲食店が激減していたからだった。何度も挫折しているのでまだまだ予断は許さないけれど、タバコをやめられるとしたらあのタイミングしかなかった気すらする。アプリによれば、禁煙してから昨日で401日が経過している▼さて、村上春樹先輩の話はどこへいったのか。初回のKKJSの時に連載(のようなもの)と禁煙をスタートできたように、3度目の今回もいままでとは違うなにかを始められないものか。けっこう真剣に考えていた。逆にいうとKKJSが本当に苦手なのだと思う。まぁ、得意な人はあまりいないだろうが、なにかしら自分発の〝企画〟で能動的に動けるものがないと、へこたれそうだったのだと思う▼そんな時にふと目に入ったのが、購入はしていたがほとんど読んでいなかった『職業としての小説家』と『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』という2冊の単行本だった。もちろん、2冊ともに著者は村上春樹先輩。なんとはなしに読んでみると先輩のルーティンが興味深かった。いわく〝朝早く起きて5時間ほどかけて原稿用紙10枚を書く。はかどっても10枚以上書かないし、今日はいまひとつのらないなという日でもどうにかして10枚は書く。そして、毎日1時間ほどランニングか水泳といった運動をする。そんな日々を休まずに毎日繰り返す〟。補足すると、小説を書くという作業にも何段階かがあって、このルーティンは一番はじめの初稿時のもの。その期間は1年とか3年とか、作品によって異なるという▼このルーティン、一般的にはどう感じるものなのだろう? 最近ではSNSで文章を書くことが身近になってもいるから、毎日5時間だけ、原稿用紙10枚だけだったら簡単そうと感じるものだろうか? だとしたら、断固として否に一票だ。小説家に限らず、文章を書くことを生業としている人ほど、このルーティンのすごみを感じると思うのだが、まず第一に締め切りを設定されてもしてもいないということ。そもそも論としては、締め切りなしに、ふつうは書けない。これはなにも自堕落な私だけの話に限らず、文筆家の多くが締め切りにあわせて(縛られて)書いているし、文章に限らず、私が取材させてもらった漫画家の多くも〝締め切りはきついが締め切りがあるからこそ描ける〟と口々に語っている。ならば〝ふつう〟と一般論化してよいだろう▼そして、第二のすごみとして、そのやり方で食えているということ。世界的な巨匠に対して失礼な単語ではあるけれど〝食えている〟というのはプロフェッショナルとアマチュアの一番わかりやすい分水嶺だ。出版社などから締め切りを与えられておらず、かつ、自分でも決めていないということは、いつ完成するかわからないという話。ということは、いつ金になるのかわからないということで、それでも〝食えている〟というのはそうとうにすごい。しかも、村上先輩の場合は、まだ食えない時代からこのシステムを模索してきたというのだから「あれだけ稼いでたらそういうルーティンもそりゃあできるでしょ?」という揚げ足は取れない。そこがすごい▼さらに、第三のすごみが、己を過信していないということ。〝作家は脂肪が付いたらおしまい〟とも語っていて、その言葉には暗喩も含んでいると思われるが、文字通りの意味のフィジカルの大切さを信じているということ。だから、毎日1時間運動しないと体力が落ちていく=いいものが書けなくなるとしている。あれほどの天才ならば、モノを書く才能だけでいつまでもやっていけると過信してもよさそうなものなのに、村上先輩はフィジカルの大切さもプロフェッショナル小説家となった初期の頃に気づいていたようで、それもまたすごい▼そんな3つのすごみがある上で、1日5時間ほどで必ず原稿用紙10枚&1時間の運動を毎日休まずに繰り返せるのも単純にすごいのは言うまでもない。自分に置き換えても絶対無理だと感じたのだけれど(第二のすごみがとくにネックとなる。つまり、食えない!)、なんのタイミングの妙なのか、KKJSへの嫌悪感が上まわってしまう。よせばいいのに、〝ゴールデンウィークの1週間だけならおもしろいかも?〟などと思いついてしまう。だから、ドタッドタッドタッと滑稽な音色を響かせて走ったのだったのだった。というわけで、次週に続きます(唐澤和也)