からの週末20210321(日)
おちょやん フォーエバー(まだ終わってないけど)

▼『おちょやん』が妙におもしろい。熱心な朝ドラファンだったわけではなく、前作『エール』のヒロインである音さん(二階堂ふみ)が自分の地元のお隣りである愛知県豊橋市出身の設定で〝初完走〟を記録した程度のなんちゃって&にわかではあるが、おそらく『エール』は朝ドラらしいテイストだったのだと思う。恋愛要素多め、ヒロインが基本ポジティブ。そのようなポイントを踏まえていることが朝ドラの王道だとすると『エール』は才能論や戦争のシビアさを丹念に描いている点にオリジナリティがあり、そこが個人的には魅力的だったが、恋愛要素多めで、ヒロインも基本ポジティブだった。さらに言えば、音を楽しむと書く〝音楽〟が題材だったからこそ、物語自体もポジティブだった▼そんな朝ドラの王道作品『エール』がおもしろかったからこそ『おちょやん 』も見続けたのだが、モデルとなっているのは、松竹新喜劇の看板女優であった浪花千栄子。ヒロインは基本ポジティブだが、恋愛要素が多めかというとそうでもない。じゃあ、物語全体のポジティブさはどうかというと、これが微妙で、そこが魅力的だったりする▼どこが微妙か? ここからネタバレを含みますので未見の方は悪しからずです▼松竹新喜劇をモデルにしているぐらいだから、コメディ要素はふんだんに盛り込まれている。たまたま、インタビューでお世話になった鶴瓶さんも『おちょやん』ファンで、物語のなかで演じられていた「手違い噺」という演目の台本を見せてくれた。松竹新喜劇で演じられていたもので、落語の参考に入手した貴重なものらしい。というぐらいなので、『おちょやん 』にはコメディ要素満載でその物語も全体的にはポジティブではある。でも、キラキラとしていた物語に強烈な黒い影がさす瞬間があるのだ。それは、どうにもこうにも主人公・千代(杉咲花)の人生がうまいこといかないということ。〝朝ドラ史上最低の父親〟とまで言われているお父ちゃん(トータス松本)に子供の頃に売り飛ばされるわ、道頓堀でお茶子として懸命に働いてようやく将来の夢のようなものが芽生えたタイミングでヤクザものに借金をしたダメ父再見で京都のカフェに引っ越さなきゃだわ、そのカフェにも本名テルヲこと借金大王がもはや窃盗レベルで金をせびりにくるわで。それでも周囲の人に支えられつつ気丈に生きる千代の姿に心を打たれるわけだけれども、千代からするとダメ親父のことはもういいやと。京都のカフェで働いている時期にもうあきらめたと。でも、幼い頃に離ればなれになってしまった弟(倉悠貴)のことはいつも心に留めていた。千代が小さい時に母親は死んでしまっているので、ちょっぴり母心も含まれていると思うが、いろいろあって道頓堀に戻った千代の元に弟が訪ねてくる。昨年11月から、千代を応援してきた身からすると、いままで見たことのないような笑顔が千代に咲く▼ところが、弟はヤクザ者だった。女優として活躍できるようになっていた姉に向けられる弟の本音がえぐい。「なんでねーやんだけ上手くいったんやって腹たってしゃーなかった」。ねーやんは泣く。弟も泣く。泣きながらこぼれる鼻水が姉弟でそっくりで、見ているこちらも号泣だった。おそろいの鼻水が、なんだか最高に姉弟だった▼ひとつ落ち着いたところで、ねーやんは言う。「うちはあんたを思い出して頑張れた。13年の間一度も会えてなくても、ズーーッと励まし続けてくれた。あんた、すごいんやで」。グッとくる弟。でも、うまくいかない。ここからカラっとハッピーエンド的にとはならない。結局、弟はヤクザな世界に戻ってしまうのだ。弟の背中を見送るしかない千代。けれど、ひとりじゃなかった。幼馴染の天海一平(成田凌)と結ばれる。文字にすると甘ったるいかもしれないがそんなことはなく、『おちょやん 』は恋愛ドラマというよりもやっぱり人生ドラマであり、千代の〝うまいこといかない人生の生き方〟に泣き笑いしてしまう▼泣き笑い。『おちょやん』では「笑いと涙は紙一重」との言葉も登場した。ここなのだと思う。「どこだ?」と見失った方のためにもう少し補足させていただくと、世界の喜劇王チャップリンも似たようなパンチラインを残していて「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇である」としている。ライターとして芸人を中心にインタビューをしていた時期は「哀しみの裏側にある笑い」という言葉を使って、その手の笑いが大好物だと書いたりもしてきた。一周して「笑いと涙は紙一重」とする『おちょやん』に戻ると、だからこそ個人的にどストライクな笑いや物語だし、もう少しカラっとしたテイストの笑いや物語が好みの方には朝から見るのにはヘビーなのかもしれない▼さて、この原稿を書いている時点で未見なのだが、今週の『おちょやん』は〝朝ドラ史上最低の父親〟が大変なことになっているらしい。千代は〝うまいこといかない人生〟を〝どう生きるのか〟。父親つながりで思い出したのだが、我が父・正直さんはテルヲと真逆のタイプで、好きな四文字熟語は「謹厳実直」という人だった。そんな真面目な父はテレビも大嫌いらしく、基本NGであったが『藤山寛美3600秒』は大好きで、その時間は毎週テレビを見てもOKだった。藤山寛美は松竹新喜劇の当時の座長にして、日本を代表する喜劇王である。謹厳実直な父が藤山寛美に笑うたびにまだ小学生だった私も笑い、息子に気づかれぬようTシャツの肩口で涙をぬぐう姿を見てしまった時は、なんだか心の色が変わったことを覚えている。その涙の理由はわからなかったけれど(唐澤和也)