からの週末20210227(土)
すばらしき世界とおはずかしい我執

▼映画『すばらしき世界』が素晴らしかった。映画が素晴らしいのはもちろん、パンフレットも素晴らしかった。パンフレットが素晴らしいもんだから、映像世界だけでなく活字にも興味を抱いて西川美和監督の単行本『スクリーンが待っている』まで購入しちゃったのだが、これがまた素晴らしかった▼映画本編は、今後何度か見るであろうし、その度にちょっぴり違う感想を抱くような予感がある。タイトル通りの映画だなぁと思うときもあれば、意図的な反語としてのタイトルなのかもと感じる夜もある気がする。自然の景観が四季や天候で変わって見えるように、たゆたうような、それでいて厳しさとふくよかさのある素晴らしき作品▼ひとつだけたゆたわないのは、理由がはっきりしているということ。なぜこの映画を何度も見そうな予感を抱くかといえば、ユーモアがあるから。そのユーモアの種類が哀しみの裏側の笑いであること。時として論争にもなるネタバレうんぬん以前の話で〝笑った〟部分を具体的に紹介するのは、お笑い好きとしていかがなものかと思うので割愛するが、『すばらしき世界』は大切なことを思い出させてくれた映画だった▼18歳で上京して東京の映画館に通うようになって以来、パンフレットを買うのがお決まりだった。たとえば、スパイク・リー監督の『ドゥ・ザ・ライトシング』という映画は日比谷シャンテで公開されていたのだが、当時のシャンテのパンフはフォーマットが決まっており、巻末にシナリオが収録されていた。そのシナリオを夢中になって読んでいた、のならいいのだけれど、カッコをつけてナナメ読みしていた若者がいた。私だ。シナリオライターとかコピーライターとか、カタカナ職業に憧れていたバブルの時代の典型的大学生だった私だ。お恥ずかしい。ただ、映画そのものはつまんなくてもパンフレットだけは毎回買うほどに好きだった▼28歳で本格的に出版業界に入ってやってみたいことのナンバー1が映画パンフレットにたずさわることだった。『トレインスポッティング』という映画は私がライターとしてプロになってから公開されているが、その頃も相変わらずパンフ購入はデフォルトで、そのパンフは銀色の特色印刷に印字がされていて〝読みにくいなぁ。でもカッコいいなぁ。自分もたずさわりてぇなぁ〟などと興奮したものだった▼映画パンフレットにたずさわりたい。私のそんな夢が叶ったのが実は、西川美和監督作品だった。西川監督のデビュー作『蛇いちご』、2003年のことだ。実の実は、その前年の2002年に、お笑いコンビ・ココリコの全国ライブツアー用パンフレットの編集を担当させてもらっていた。映画ではないけれど、うれしくてうれしくてそれはもううれしくて、めちゃくちゃテンションがあがったのを覚えている。『マンスリーよしもと』という月刊誌が吉本の大阪広報部の編集によって発行されていた時代で、なのになぜか東京在住の編集、というよりライター、というよりまぁいちおう出版関係者な私に声がかかり、笑いのプロフェッショナルたちを取材したりインタビューしはじめてしばらくたっていた頃の出来事だった▼人生初映画パンフ仕事では『蛇イチゴ』の主演の宮迫さん(雨上がり決死隊)のインタビューを担当できることになった。当時の雨上がり決死隊マネージャー・Hさんが私を指名してくれたからだった。うれしくてうれしくてそれはもううれしすぎて〝こんな感じで書く〟という本来のビジョンを超えた大志を私は抱く。映画のパンフレットというからには、インタビューで名を連ねる書き手は、映画ライターたちだろうと想像した私は〝よし、映画ライターがこれを読んだ時に私じゃ絶対書けないと感じるものを書いてやろう〟との野望を抱く。いや、アレは大志でも野望でもなくて、エゴだったか。漢字にするなら我執ってやつをどす黒く抱く。いっそ簡単に言うのなら〝ぶっ殺すぞ、文章で!〟という我執だった▼お恥ずかしい。いやはやなんともお恥ずかしい。実の実の実は、判型からして新書サイズとユニークな『蛇イチゴ』のパンフレットはいまでも大切にとってあって、どれどれどれぐらいぶっ殺してるんだろう、文章で、と久しぶりに読み直したら、書いたはずの自分がぶっ殺された。だって、冒頭の一文が「私は詐欺師と出会ったことがある。」である。インタビューなのになんで自分の話から入るの? 読み進めると宮迫さんはちゃんと映画と芸人や自己とをからめていいことを言ってくれている。百歩譲って書く前のインタビューという行為なら、ちゃんと聞けてるじゃん! なのに、最後の一文は「かくして嘘は輪廻する」ときたもんだ。お恥ずかしい。この一文を思いついた時、絶対にドヤ顏だったはずなのが、さらにお恥ずかしい▼恥ずかしいけれど、その文章が嫌いじゃなかった。もしも映画ライターの方が読んでくださったのなら〝私じゃ絶対書けない〟ではなくて〝私だったら絶対書きたくない〟だとは思うけど、大志なのか野望なのか我執なのかの黒い思いそのものが印刷物から滲み出ていた。〝いまの自分では絶対に書けない〟という意味で悪くなかった▼『蛇イチゴ』にも『すばらしき世界』にも、西川監督のシナリオが収録されている。いまやシナリオライターをなんちゃってでも目指してはいない私はナナメ読みもしない。ただひとつ、『スクリーンが待っている』という単行本を読んで気になったことだけを『すばらしき世界』のパンフレットで確認してみる。作中で仲野太賀さんが演じる人物名の表記を確認したかったのだが「津乃田」とある。『すばらしき世界』には『身分帳』という原作があり、その原作を現代へと時代設定などを変更するために西川さんは(執拗に)周辺取材をするのだが、「角田」という人物の名前の読みがどうしてもわからず〝カクタでもツノダでもどっちでもいいじゃん〟という一部の意見をうっちゃり「津乃田」としたのだそう。神は細部に宿るという言葉を地でゆく西川監督の向き合い方に映画作りっていいなぁと思いながら、ふと、『すばらしき世界』のパンフレットでシナリオのはじまりの対抗ページに目をやると、主演の役所広司さんとかつての妻という設定の安田成美さんの笑顔の写真が掲載されていた。沈む前の太陽を背にしたお揃いの笑顔が、物語のあの結末を踏まえると、美しくも切なくて、そして素晴らしい。撮影クレジットはTAIGA NAKANOとある。誰がこの写真はここにレイアウトしようと決めたんだろう。クレジットが英語表記なのもさりげなくて素敵だ。『すばらしき世界』は細部までもが素晴らしかった(唐澤和也)