からの週末20210213(土)
贅沢過酷美味な気仙沼漁師カレンダー
▼今週は月曜日から木曜日まで、気仙沼出張だったのだが、いやはや、忘れてました、この感じ。漁師カレンダーという媒体の仕事だったのだけれど、漁師さんが主人公で彼らの仕事にあわせてこちらの生活サイクルも変わるから、それはもう早起きだ。基本、朝4時起床。おまけに雪は降れども積もることは滅多にない気仙沼にその滅多が起こり、初日は雪が積もってた。当然、激寒。昨年のKKJS以降、地方出張がほとんどなく身体はなまりまくっていて早起きも激寒もキツいはずなのに、それでもずっと楽しかった。なんでだろう?▼気仙沼基準ならば春のようにあたたかな東京の事務所で振り返ってみるに、笑いの世界のフリ・オチで言うところのフリが効いていたのがまず大きい。なにせ〝あけまして、旅りたい〟ですから。昨年のKKJS以降東京にいることがデフォルトな日々に飽き飽きとしていたところに、先日の清水港への出張に続いて連続で旅れるだなんて。じゃあ、なんで旅仕事が好きなのかといえば、あれ? なんでなのだろう?▼いま、うららかな事務所で朝のコンビニで買ったなんちゃらふう焼きそばをレンジでチンしながらまず思った旅仕事の魅力は〝ごはんがおいしい〟だった。仕事そのものじゃなくて〝そっちかよ!〟とのツッコミが入りそうだが、でもですね、東京の人に問うてみたいのはこの街の居酒屋で、イカのふみそ焼きなんて食べたことありますかと。気仙沼の和食の名店で食べたそれはもう絶品、先週覚えたスペイン語で言えばエンピンガーオでしたよということ▼もちろん、そっちかよ!の逆のこっちだよ!な=仕事ならではの旅ものならではの魅力がある。東京での一般的なタレントインタビューは限られた時間内でどこまで言葉を〝引き出す〟かという、まるで勝負のようなやりとりがスリリングでおもしろい。でも、旅先でのそれはそもそもインタビュー慣れしていない一般の人々を対象としているから〝引き出す〟ことが難しい。いや、もしかしたら私の引き出す技術が足りだけかもしれないから単純に好みの問題かなぁとも思うが、引き出したというよりも、図らずもこぼれおちてしまった言葉たちが聞けた時のブルっとする感覚は東京よりも旅仕事のほうが圧倒的に多い▼気仙沼漁師カレンダーは、ものすごく贅沢な作り方が許されていて、まずは、写真家が撮影をする。その後、写真のセレクトとデザインイメージが完成してから、取材のためだけの気仙沼旅が許されているのだ。今回でいえば、写真の撮影は夏との冬の2回だった。スケジュールの都合で夏の撮影に私は参加できなかったが、冬の撮影には立ち合うことができたのだが、このことのなにが贅沢かというと、予算を優先するならば、ライターを撮影時には呼ばないほうが効率がいい。だって、その後、取材だけの出張があるのだから。でも、漁師カレンダーはOK。イカのふみそ焼きも1人前増えるけど、OKなのだ▼気仙沼漁師カレンダーだけでなく、広義の意味でカレンダーのメインは写真にあることがふつうだ。だからそもそも文章があることがライターにとってはありがたいしやりがいがある。その上で、写真家の現場に一緒にいられるというのはでかい。表現の仕事のほとんどがそうであるように、〝人となり〟というのは写真でも大きく反映されるから、写真に写る前のなにかを生の現場で共有できるというのは大きい。さらに、おそらくは春になるであろう取材だけの気仙沼旅の前に、すでに今回、こぼれ落ちた言葉を聞けているというのもでかい▼10年後の未来の夢を教えてください。実はこれが、プロデューサーである大後輩J君との打ち合わせを重ねてみえてきた文章サイドの核となる質問だ。あの出来事からちょうど10年となる2021年。そんな節目の年だからこそ聞いてみたいのが未来のことだったのだが、撮影のために小舟を出してくれた漁師さんふたりからこぼれ落ちた言葉が忘れられない▼ふたりは、50歳すぎの船頭と20代の新人漁師。新人漁師は女性だった。50歳の船頭が言う。「夢か。夢なぁ。10年後に限らず夢なんてみたことねぇな。いっつも、その時その漁で、どうしたら魚がとれるかしか考えてこなかったから」。20代の新人漁師は船頭の言葉にうなづきながらこんなことを言った。「ちょうどこの間、10年日記を買ったんです。その時に〝10年後の私はなにやってんのかなぁ?〟とぼんやりと想像してみたんですけど、全然よくわかんなくて。でも、これだけは思ったんです。10年後もどういう形でもいいから海に関わる仕事をしていたいなぁって」▼気仙沼漁師カレンダーは贅沢だ。いちライターの立場にもかかわらず、撮影に立ち会わせてもらえるだけでなく、春の取材旅の前にすでにこぼれ落ちた素敵な言葉をもらえてもいるのだから。なーんて、いい感じでしめられたぞと思ったら、気仙沼漁師カレンダーのクレジットには「編集」の2文字もあったことを思い出してゾッとした。この仕事での編集ってなにをすればいいんだろう。って書いちゃうぐらいだから自分の意識としては編集らしいことを一切やっていないということ。プロデューサーのJ君がいわゆる編集的な仕事も完璧にこなしてくれているのをいいことに私はサボっていたのかもしれない。今度会った時に聞いてみようと思う。その時にこぼれ落ちるかもしれない本音にドキドキしながら(唐澤和也)