からの週末20210122(金)
鮪と恐竜とヒッチハイクとインドカレー

▼あけまして、旅りたい。なーんてことを書いてた2021年の年賀状ですが、いやはや、なかなか旅りにくい時代ですね。それでまた、いざ旅ろうとするとめちゃくちゃめんどくさい。といいますのも、待望の今年の初旅は昨日清水港(静岡県)に到着する遠洋鮪漁船の水揚げの様子を撮影・取材するという、NO不要不急、つまり、昨日しか撮影・取材できないというものだったのだけれど、1週間前からの検温・自己問診票的なものの記入、かつ、前日には抗体検査ときたもんだ▼でもこれ、実は一番めんどくさいのは、このプロジェクトを仕切っている大後輩Jくんが担っているプロデューサーという立場だ。だって、カメラマンだライターだなんていう生き物は、少なくとも一般の会社勤めの方よりはめんどくさがりやの集まりなわけで、そういう人たちにいちいちお願いしなきゃなんて本当に大変=めんどくさいだろうなぁと思う▼鮪の水揚げは圧巻だった。まるでロープに実った果物のような鮪たちをクレーンで船から港の特設ステージ(本当に特別に作ったようなスペースだった)におろし、さらに、そのステージに横付けされたトラックに鮪を移していく。オレンジ色の太陽があたたかい。東京でも連日冷え込む日々が続いていたから、ヒートテック×2、フリース、薄いダウン、厚いダウンと重ね着をして防寒対策もバッチリだったが、逆に2枚脱いだ▼この連載で思いついた例の質問も漁師さんにぶつけてみた。「人生で一番学んだことはなんですか?」。「こえられない嵐はない、ですね」。即答してくれた漁師さんいわく、今回の航海でもシケた海は怖かったそうだ。それでも、乗り越えてきたと。漁師さんでしか口にできないパンチライン▼次はいつ旅れるのだろうか▼実は、自身が編集長を担当する某プロジェクトのテーマがまさに旅なので、いやはやどうしたもんかなぁとは思いつつ、されど途方に暮れてはいないのは「だったら、こういう企画はどう?」といまの現状を逆手に取ったというか、2021年しかできないかもしれない企画を提案してくれる人がいるからだ。ありがたい▼ありがたいし、不思議だ。その人が提案してくれた〝こういう企画〟以前以後とでも言うのか。(だったらこういう企画はどうだろう?)とだったらのおかげで次のだったらが浮かんでくるようになったという不思議。スポーツの世界で、10年とか20年とかの長い期間破られることのなかった記録をある選手が更新すると、堰を切ったようように他の選手の記録更新が続いたりするけれど、ああいう感覚なのかもしれない。こんな時代だからこそ、そういう〝だったら〟を話せる人との打ち合わせや雑談を大切にすることが、意外と大切な気がする。こんな時代なので、口を開くと文句を言いたくもなるけれど、ぐっとこらえて▼そういえば「こえられない嵐はない」とのパンチラインを口にしてくれた漁師さんとはまた別の漁師さんは、好きな言葉を教えてくれた。「苦しいこともあるだろう/言いたいこともあるだろう/不満なこともあるだろう/腹の立つこともあるだろう/泣きたいこともあるだろう/これらをじっとこらえてゆくのが男の修行である」。山本五十六の言葉だそうだ▼修行かぁ。旅と修行というふたつのキーワードは、あまりマッチングしていないようにも感じるが、編集長ひとり旅企画の「恐竜の化石を探してきました」は旅&修行だった▼編集長ひとり旅企画とは、ウエブマガジンの月刊LOGOSやPAPER LOGOSに掲載されいていた文字通りのひとり旅企画。日本で一番高いところにある温泉を目指したり、梅農家さんの繁忙期に熟れて落ちた梅の実を拾いまくったり、群馬県で恐竜の化石を探したりした▼恐竜の化石探しはおもしろくて、修行感は一切なかった。問題は自分の無計画さだ。編集長ひとり旅企画は、レンタカー含め、クルマ移動禁止だった。東京から電車やバスや徒歩でアトラクションの施設までの往路は楽勝でたどり着けたのだけれど、その日の宿までの帰り道のことをなんにも考えていなかった。仕方がない、歩くか。最初は気楽だったけれど、携帯のグーグル先生をチェックして愕然とする。徒歩、6時間。無理。その時、これしかないと思いついたのがヒッチハイクなのだが、実はやけっぱちではなくてかなり本気でいけるんじゃないかという勝算があった▼劇団の裏方だった20代の頃、ある事情で茨城から東京に歩いて帰らねばならず、若いとはいえ体力の限界が訪れ、やむにやまれず親指を立てたことがあった。早朝だったので大型トラックしか走っていなかったけれど、5回目の親指で白い乗用車が急停車してくれた。急いで駆け寄ると、インド人のふたり組だった。こちらで親指を立てておいてなんだが、正直ギョッとした。もっと正直にいうと(殺される!)となぜか思った。とにかく疲れ果てていたから、本能のようなものがいろいろマックスになっていたのかもしれない。カーステレオからガンガンに流れるインドポップス。後部シートには食べ終わったカレーの皿。満面の笑み×ふたり。眠気に耐えられず、いま振り返ると笑ってしまうカレー皿の存在にも「なんでだよ!」とか「ベタかよ!」などとツッコむ気力なんてもちろんなく、もういいや殺されてもと車内に乗り込むと、笑顔のふたりが身振り手振りでポテチをわけてくれた。それからもふたりはとにかく楽しそうで熱唱しながらもこちらを気づかってくれた。徹頭徹尾、やさしかった。彼らのやさしさのおかげで、僕は無事に東京へと戻れたのだった▼ところが、群馬県にやさしいインド人はおらずヒッチハイク作戦は、あっさりと失敗に終わる。だが、ひらめきにたけた日本人がいた。ふらふらになって立ち寄った駄菓子屋のおばちゃんが「宿の人に迎えに来てもらえばいいじゃん」と教えてくれたのだ。発明王といえばエジソンだが、その時の僕にとっての発明王は群馬県の駄菓子屋のおばちゃんだった▼やっぱり、いいなぁ、旅。昔は、麻雀の話を友達としているといてもたってもいられなくなり、なんとかして4人集めて麻雀に興じたものだが、旅のことを思い出して書いただけなのに、いてもたってもいられず旅りたくなる今日この頃です(唐澤和也)