からの週末2020718(土)
久しぶりにインタビュー〝され〟ました

▼いつの頃からか、年賀状に暗号をしのばせるようになった。2020年は0943、2019年は0928。ちょっとさかのぼって2010年は0577。実はこの暗号、インタビューさせてもらった人ののべ人数。別に数をこなせばいいってものでもない、ってことでもなくて、やっぱり打席に立てるっていうのはありがたい▼28歳でライターになって最初にがっつりお世話になった「週刊プレイボーイ」は〝週刊〟というのがありがたかった。だって、頑張れば(企画が通れば)毎週でもインタビューができるのだから。当時の僕はモノクログラビア班というところの所属だったけれど、活版ページ(モノクロのザラザラした頁)や、カラーページ(総天然色のツルツルした頁)でも企画が通ったり、ご指名いただければ自由にインタビューできたし、書けた▼モノクログラビア班の最初の頃は、10〜20文字ぐらいのタイトルが全然通らなかくて、夕方の6時ぐらいから6時間ほどタイトルばっかり考えてはダメ出しを繰り返されたり(ってことは深夜0時だ)、やっとのことで原稿を書きはじめてもこれまた何度も書き直しさせられて気がつけば2度目の6時間が経過していたり(ってことは早朝朝6だ)なんてこともザラだった▼あれ? インタビューの話を書こうと思っていたのに、なんだかありがたくなってきた▼まがりなりにも、自分のスタッフや後輩ライターの原稿をチェックする側になったいま振り返ると、あの頃の週刊プレイボーイの編集者の方ほどには、彼らの原稿に対して寄り添ってないことに気づかされる。だって、タイトルを6時間、原稿を6時間って、計12時間!だもの。思えば週刊プレイボーイでは、そのモノクログロビア班以外の編集者にも、根気よく原稿に付き合ってもらった記憶しかない。いまさらですが、ありがとうございます▼さて〝され〟た話である▼過去、担当させてもらった単行本のプロモーションでインタビューされたことが何回かあったけど、久しぶりにインタビューされた。誰に? うちのスタッフの山岡ひかるにである▼僕の怠慢のせいで関わってくれた方々には本当に申し訳なかったのだけれど、このホームページの原型ができたのは2017年にさかのぼる。1本目の更新記事が2020年3月24日だから、原型完成から公開まで3年も寝かせていたことになる。ひどい。怠慢にもほどがある。いまさらですが、ごめんなさい▼で、された話▼自己紹介とでも言うのだろうか。たいがいのホームページにあるABOUTページに、プロフィール的なことをざざっと掲載しているのだが、ある時<主要な仕事を俺が自分で書いて紹介するんじゃなくてスタッフがインタビューをして、ある種の書評的なものになったらおもしろいかも? スタッフのインタビューの練習にもなるし>と思いついた。そして迎えた1発目のインタビューが今週だったというわけ▼というわけで、これまたゆっくりとしたペースではありますが、ABOUTページも〝読みもの〟にできたらなぁと思っております。ちなみに、今週インタビュってもらった過去のお仕事は書籍の『カラス』。爆笑問題太田光さんの自伝で、僕がインタビューすることの魅力に取り憑かれはじめた時期にインタビュー形式でまとめた書籍。世界一くだらない自伝を作りましょうと熱く語ったことなどを山岡に語ったけれど、語り忘れたことをいまふと思い出した▼『カラス』という書籍はQ&A形式で、まさにインタビューを再現したかのような内容なのだが、なぜそのスタイルになったかといえば、太田さんの提案だった。こちらは、ライターになってはじめて担当できる書籍だったもんだから、とにもかくにもこの仕事に関われるのがうれしくて、その時は太田さんがそう言うならそうしましょうぐらいのノリであまり深いことを考えなかったけれど、おそらく、ご自身が文章を綴られる方だから、一人称(ひとり語り)の自伝は嫌だったのかもしれない。だったら自分で書くよという話で、だからこそ、企画に乗っかった上でこちらの立場もたててくれたのかもしれない。だとしたら、これまた本当にありがたい▼……という話を〝され〟てる時に思い出せよ、俺!とツッコミつつ、山岡の原稿には根気よく付き合おうと思う。夕方6時から早朝6時のあの週刊誌のように。って、いまの世代の子にはウザいだけなのかもしれないけれど(唐澤和也)