からの週末20201212(土)
まわりまわってまわりくどい極私的映画論④
▼いつものこととはいえ、いつも以上にまわりくどかったこのシリーズ。いよいよ、ラストです。途中、映画論つってんのに漫画の話までしちゃって収拾がつかなくもなりましたが、なぜ僕は映画のジャンルでいうと師弟ものが好きなのか。思春期の頃から出会う先生に恵まれていたからではとか、自分が弟子入り体質だからなのではとかあーだこーだ言ってきましたが、本当のところは、自分の2番目ぐらいの青い春な時期、劇団で出会った師匠の存在が大きい▼というわけで今回は「雲ひとつなくもなく②」にて。こちらは、過去に書いたものを、まぁ、せっかく自分たちのHPもできたことだし、たまーに復活させてみますかという不定期シリーズだけれど、2012年にボクシングのフリーペーパーで、師弟もの映画について書いていた原稿があった▼▼これしかない。なにかひとつに賭けている人は美しく、そして切ない。本誌『PRAY』の編集を担当させてもらって一番驚かせられたのは、関わるスタッフの熱量だ。編集長はもちろん、カメラマンやライターがボクシングという磁場に引き寄せられ、身を焦がしていた。生活に窮している人もいて、けれど、ボクシンングの話をしている時だけは口座残高のことなんて忘れている、そんな感じ。カメラマンやライターや編集長ですらそうなのだから、ボクサーの方の熱量たるや、サーモグラフィで見たら最高温の真っ青だろう。なにかに似ているなぁと漠然と感じていたが、映画『ミリオンダラー・ベイビー』を再見して思い当たった▼23歳から28歳まで、僕はある劇団に所属していた。もちろん貧乏だった。隣りの部屋ではアジアから出稼ぎに来ている女の子が6人で生活していた、東中野の陽の当たらないマンション。劇団仲間4人と生活していた僕らは、それぞれがバイト先から戻るまで晩飯を食べてはいけないシステムを取っていた。友情故の美談などではない。貧乏な時は頭を使うしかないから、各自のバイト先をイタリアン、寿司屋、インド料理などに分けることで、持ち返るまかない飯のバリエーションを増やしてシェアしよう大作戦だったのだ▼とにかくいつも腹が減っていた。池袋の定食屋で食い逃げをした時は、後輩の川瀬が買ったばかりのスニーカーの右足が脱げて店に置き去りにしてしまい、逆に、赤字だった。僕らはもちろん爆笑した。貧乏だったけれど、いつだって笑っていた▼『ミリオンダラー・ベイビー』の主人公は、30歳をすぎてもうあとがない女性ボクサーだ。名前をマギーという。ろくでもない家庭環境。自室にテレビもなく、ウエートレスをしながら客の残飯を夕食にあてるという生活。そんな彼女に、薔薇のような笑顔が宿るのは、憧れの名匠・フランクに師事する夢がかなった瞬間だ。以後、マギーはどんなにハードな練習を積もうが、試合で鼻を折られようが、結局は笑う。笑顔が向けられるのは、ジムのオーナーにしてトレーナーのフランク。マギーにはボクサーとしての才能があった。その才能をフランクが開花させる。連戦連勝。KO勝ちの山。だが、本作の結末はハッピーエンドからほど遠い。世界に挑戦した夢の一戦。王者の醜悪な反則がきっかけで頭部以外は動かせない体になってしまうのだ▼フットワークと強打を奪われ、翼をなくしたボクサーが選んだのは自死。だが、体を動かすことができない人間は死ぬ自由さえもありはしない。マギーはフランクに自死へのアシストを託した。最後の最期にフランクが選んだ結論は、映画公開時の全米で賛否両論を巻き起こす▼これしかない。なにかひとつに賭けている人は美しく、そして切ない▼本作のラストは、その極みのような結ばれ方だが、ことの善悪ではなく、「見捨てる」というキーワードで語るならば、また違う景色が見えてくるように思う▼劇団時代、こんなことがあった。笑いの才能が一切なかった僕は、作家見習いから作家に昇格できず、結局、裏方となる。つまり、座長=師匠に見捨てられなかったわけだが、僕は裏方の地味な仕事をナメていた。小さなミス×2回。その都度、軽いダメ出しが師匠からあったけれど、僕は事の重大さをわかっていなかった。3度目の同じ様な小さなミス。積み重なった小さなミスは大きな亀裂をうみ、劇団運営に関わる大事となる▼中目黒、夕暮れ時の地下の稽古場。遅れて現れた師匠はなにも言わぬまま、やけに大きなスニーカーで僕の顔面に蹴りをぶち込んだ。鈍い音と共に記憶が飛ぶ。その後、何発殴られたのかも覚えていない。東中野に戻ると、同室の後輩が布団を敷いてくれ、冷たいタオルを代わる代わる額に当ててくれた。唇は切れ、顔全体が焼けるように熱い。仲間の優しが身にしみたけれど、僕はタオルで目を隠した。何者でもないくせになにも為そうとしないダメダメな俺。終わりだ、俺は劇団をクビになるんだと、その時初めて後悔した▼翌日。ふと気がつくと、2倍に膨れ上がった顔をのぞきこむように、師匠が枕元に立っていた。クビ宣告を覚悟した僕に、師匠はふっと笑ってこう言った。「男前になったな」。僕は見捨てられなかったのだ。フランクもまた、最愛の弟子を見捨てることなどできなかったのではないか。だからこそ、最期のマギーが微かに笑っているように見えるのだと思う▼▼いやはやいろいろありますが、2020年もあと少し。なんだか今年は劇団時代の失敗エピソードを夢に見ることが多かった気がします。そうそう、元プロレスラーのアントニオ猪木さんにインタビューした時、猪木さんに聞きたかったことのひとつは〝時代的には徒弟制度がなくなりつつありますが、徒弟制度の素晴らしさもあるのでは?〟でした。というのも猪木さんには力道山という師匠がいて、猪木さんは徒弟制度肯定派で、なぜなら調子にのっている時期に限って師匠に〝かわいがられてた〟頃の夢をみるそうで……って、話がまたまわりくどくなってきたのでこの話はまたいつか(唐澤和也)