からの週末20200911(金)
マスクを取った君の顔を僕は知らない。
▼なんだか、あいみょんは絶対に歌ってくれない曲のタイトルみたいになっちゃったけれど、こういうのも新しい生活様式のひとつなのだと思う。マスクを取った君の顔を僕は知らない。っていう人がけっこういたりする▼たとえば、クライアントであるL社大卒新入社員のOさんとは、春から電話やメールでのやりとりを重ね、この夏、ある撮影現場ではじめて顔を合わせた。電話やメールでのやりとりがあったからか、完全なる初対面感がなく、軽い冗談を言い合えたりもしていままでの新卒新人とは違うコミュニケーションだった。ところが、ふと気づいたこのあいみょんは絶対に歌ってくれない曲のタイトルみたいなことは、けっこうすごいことだぞと思う。そう、マスクを取ったOさんの顔を僕は知らない。Oさんもマスクを取った僕の顔を知らない。安全対策のために、お互いにずーーーっとマスクをしたまんまだったからだ。はたしてコロナが今後どうなるかにもよるが、たぶん、マスクを取ったOさんの顔を僕は知らずに年をまたぐのだろう▼ちなみに、Oさんは女性なのだけれど、マスク姿だからというわけでもなく、かなりの大物感がある。なんというか、物理的な意味じゃなくて雰囲気の重心が低くて、とてもじゃないが、新入社員とは思えない。あまりにどっしりしているので「人生で一番パニッくったのっていつ?」と聞いてみた。すると数秒間の沈黙という名の熟考ののちに「ないかもしれないです」とまさかの人生NOパニック宣言。すごい23歳がいたもんだ▼それに比べると、なんとも情けないことに、こちとら現在過去未来春夏秋冬パニックの数々が思い出される。我が人生最大のパニックの時は、なんといっても劇団時代の高速インターチェンジ降り損なう事件だ▼劇団の裏方だった当時、ケーブルテレビの仕事をもらっていた。ざっくりいうと情報番組だった。劇団の役者がリポーターとして表方を担当し、裏方的に僕が企画を出して構成担当という役割分担。劇団のメンバーとは東中野のマンションにみんなで一緒に住んでいたので、そこからハイエースで(劇団の先輩が師匠の事務所の運転手の仕事をしていたので貧乏劇団員だったのにもかかわらず、先輩の仕事がないときは僕らはそのクルマを自由に使わせてもらえたのです)ケーブルテレビのスタジオまで移動していた。といっても、世田谷の用賀あたりから高速にのって、電車でいうと一駅程度の東名川崎で降りるだけの簡単なドライブ。ドライバーは裏方である僕。若葉マーク付きの運転手でも楽勝のはずが、僕はパニクってしまう。なぜか、東名川崎で降りなきゃなところをアクセルを踏んでぶーーんと疾走してしまったのだ。あれはもはや、疾走であり失踪だった。あまりにパニくって事実関係を一部覚えていないし、いまでも変な汗が脇ににじんできたけど、同乗していた先輩と後輩の役者全員に、ひとことでツッコまれたことだけは覚えている▼「オイっ!」▼全然覚えてないのでたぶんだけど、生放送とかではなかったのかなぁ。それとも余裕を持って東中野を出たから予定の時間に間に合ったのかなぁ。とにかく結果的には仕事に穴をあけずに済んだ(と、思う。もし当時のケーブルテレビ関係者で「いやいや大迷惑だったよ!」とタイムラグのあるツッコミを入れてくださる方がいたのなら、あの時は本当にすみませんでした!)▼もうひとつだけ覚えているのは、ものすごくやさしい人のおかげで仕事に穴をあけずに済んだ(であろう)ということ▼貧乏劇団員なのにハイエースで移動できるという分不相応ではあったが、財布の中身は悲しいほどに釣り合いが取れていた。降りなきゃダメなインターチェンジをミスり、次のインターチェンジで降りたはいいけど、高速に乗り直さないと時間的に間に合わないという緊迫した状況。けれど、僕も劇団のメンバーも、揃いも揃って財布の中身は限りなくゼロに近かった。「どうすんだよ!?」「どうするんですか!?」。もう一度、高速に乗って戻りたくとも高速代がない。痛いほどまっとうなツッコミを浴びた僕は、あいかわらずパニクりながらも「借りてきます!」と叫んでちょうど目に入ったガソリンスタンドにクルマを停めた。「貸してくれるわけねぇだろ!」「無理っすよ!」という至極もっとなツッコミは、そのやさしい人のおかげで空振りと化す。その時の記憶がパニックのせいでまばらなのでなんとお願いしたのか、どんな人だったのかも覚えていなくて本当に申し訳ないのだけれど、そのやさしい人は見ず知らずの、スニーカーの親指あたりが両足とも穴が空いていた貧乏丸出しの若者にお金を貸してくれた▼よくぞ、貸してくださったと思う。ふつうは嫌だ。でも、あの日の僕はその人のおかげでスニーカーのようには仕事に穴をあけずに済んだ(と思う)のだけれど、ここまで書いてみて、Oさんのパニック人生もこれからだよなぁとほくそ笑んでしまった。学生時代の自分を振り返ってみても、失敗は山ほどしたけど、パニックという精神状態にはならなかったから。ふふふ。パニックは仕事を始めてから経験するもの也。仕事でOさんがパニくった時がちょっと楽しみだ。もちろん全力でフォローするけれど、いつかのあのやさいしい人のようにはやさしくない黒唐澤が、ニヤリと笑っている気がする(唐澤和也)