からの週末20200904(金)
背番号22の藤川球児と背中で聞いた話

▼少年漫画の主人公のようなプロ野球選手が今シーズン限りでの引退を決めた。藤川球児。野球を知らない人でも〝松坂世代〟という言葉は聞いたことがあると思うけど、1980年生まれの松坂世代のプロ野球選手。阪神ファンからすると、引退会見の動画を見た人のほぼ全員が嗚咽がとまらないであろうリビングレジェンド▼個人的にも大好きな選手に決まっている。2008年からのメジャー挑戦前、日本で絶対的守護神として活躍していた頃に京セラ大阪ドームで生の投球を見て度肝を抜かれたことがあった。対戦相手のプロ野球選手がストレートが来るとわかっていても空振りする、と言われていたけど実際に目の前で空振りする様を見せられた時の衝撃と言ったら。漫画みたいだった。火の玉ストレート。ストレートという名の魔球。得意な球種につけられた形容の言葉もまた、少年漫画のようだった▼引退かぁ。阪神の選手でいうと、はえぬき球団での幕引きをよしとせず、ロッテでの現役続行を選んだ鳥谷選手には賛否両論があるようだ。〝自分の引き際を選べるプロ野球選手はひとにぎり〟と言われるように、僕は鳥谷選手ほどの人は自分で引き際を選べると思うのだけれど、阪神ファン兼親友のNくんは、ずっとご立腹だ。いわく、せっかく球団が用意した花道を踏みにじるとはけしからん。ロッテに行ったってどうせもう活躍できないのにといった感じでけっこうクソミソだ。逆に、藤川選手の今シーズン限りの引退会見には〝さすが球児! 潔し!〟となる。Nくんに比べると僕はかなりの薄口阪神ファンなので、地元大阪などの濃いファンは同じようにアンチ鳥谷選手なのかもしれない▼ファンの反応としてはNくんのほうが正解だと思うのだけれど、なんなんだろう、この釈然としない感じは▼たぶんですね、おこがましくも自分を投影しているのだと思う。Nくんのように純粋なプロ野球ファンの立場じゃなくて、<俺が鳥谷だったら納得いくまでやらせてほしいって思うもんなぁ>とライターである自分を投影しちゃっているんだと思う▼引退かぁ。おこがましくも一流プロ野球選手と自分を重ねてしまうのは、僕の立場がフリーランスだからだ。大げさにいうと明日の保証は誰もしてくれないということ。駆け出しの若手の頃なら「その分気楽だしね」とうそぶくこともできたけど、いまやスタッフがいる立場でもある。末恐ろしくてあんまり考えたくないし、恐ろしすぎて末恐ろしいという言葉の使い方を間違っているけれども、せっかくの機会なので引退について真剣に考えてみようと思う▼真剣に考えた▼あっさりと答えが出た。僕が思う引退のこと。それは、食えない=引退だった▼プロ野球選手で自分の進退を選べない立場の人、たとえば若手にとってのその二文字は、僕らライターの業界同様に食えない=引退だろう。プロ野球の世界は支配下登録選手数が決まっているから(ましてや毎年新人がいっぱい入団してくる!)契約されない→食えない→引退、あるいは給料は下がってもプロ野球ではないカテゴリーで勝負するという道を選ぶ▼そう考えるとやっぱり鳥谷選手はすごい。ファンの賛否両論があるにせよ、ロッテで現役を続けられているわけだし、そもそも個人的にはやっぱり大好きな選手だし、言葉にするとえらくやすっぽいけど、頑張ってほしい▼ところで、インタビュー好きなライターとして、ダメなほうのルーティンになるのが嫌で定型の質問というのが少ないのだが、いくつかはある。たとえば「他者との比較ではなく自分のなかで一番誇れる才能とは?」とか「もしもこの仕事を引退したとして、やってみたい仕事は?」などの質問だ。後者の「引退したあとの仕事」は、言ってみればセカンドライフに対する漠然とした夢のようなもの。僕がインタビューしてきたような人は、みな才能の塊のような人たちで一意専心タイプが多いかと思えば、セカンドライフへの夢がある人がけっこう多くて意外だった▼たとえば、映画監督のMさんは東北の漁師町かなんかでちっちゃい居酒屋をやりたいらしい。旅の途中の若者たちが「なんだっけ? あの映画の冒頭でさ、無駄にCGにお金をかけちゃってナルトがくるくるってこっちに向かってくるやつ」とか自分が監督した作品を肴に酒を飲んでいる雑談を焼き鳥かなんか焼きながら(その映画撮ったの俺なんだよね〜)とひとりで悦に入っていたいからだそうだ▼まわりの仕事仲間や後輩などにもよくこの質問をするのだけれど「嫁と喫茶店」「スナック」「漁師」など、意外とビジョンがあるのがおもしろい。きっとみんな、ぎゅっと集中する仕事で締め切りにも追われるので、ふっといまの人生をリセットしたくなるのかもしれない▼そういう自分はどうなんだといえば、いまのところふたつある。ひとつは内緒なのだが、もうひとつは「背中で聞いた話」だ。タクシー運転手をやりながら、お客さんの話を背中で聞いて、そのパンチラインを締め切りに追われず趣味として書いてみたい。いまの生活と変わんないじゃんと言われそうだが、メイン(収入)とサブ(趣味)が入れ替わるのはかなりでかいことだ▼心配なのは、車の運転が苦手なので、タクシー運転手に採用してもらえるかどうかということだったりする(唐澤和也)