からの週末20200829(土)
誑すと書いて鶴瓶さんと読むかもしれない

▼今週は〝誑す〟と書いて「たらす」と読むと知りました。派生語には女誑し、人誑しなどがあるから、言葉たくみに人を狂わすといった語源だろうか。人誑しのほうも元々は悪い意味だったけれど、人誑しの天才・豊臣秀吉の人心掌握術の素晴らしさに倣って、いい意味でも使われるようになったという説もあるらしいです▼なのでもちろん、いい意味で。今週は現代の人誑しの天才・笑福亭鶴瓶さんのインタビューだった。鶴瓶さんは年に2回、春は鶴瓶噺というオリジナルな話芸、秋は落語という、単独ライブ的な意味合いの板の上に立つのだが(単独ライブ的意味合いでなくただ板の上とするならその数はえげつないものになる)その2つのプロモーションインタビューとして朝日新聞ほかに掲載される▼つまり、年に2回、鶴瓶さんのインタビューを担当させてもらえる計算になるのだが、そのはじまりは、2011年。なぜかくも有難いチャンスをもらえたかというと、2009〜2010年に週刊プレイボーイで「つるべのみかた」という連載を担当させてもらえたことがキッカケだった▼キッカケと言えば、実はこの〝からの週末〟をはじめた理由のひとつも鶴瓶さんに影響を受けていたりする▼テレビに映っている鶴瓶さんと、録音用ICレコーダーの向こう側にいる鶴瓶さんは、ほとんど同じでちょっと違う。同じなのは、やさしいことと人の話をちゃんと聞いてくれること。たとえば今回の僕のインタビューのテーマは「コロナと傑作の条件」というものだった。コロナはまぁ時事的なものだからテーマとしてわかる。でも、思いついた瞬間はテンション上がっているから気づかなかったけど、いま冷静に思ったのは「傑作の条件」ってなんなんだって話だ▼コロナ禍以降で僕の感じた傑作の条件というものがあって(この連載の「逢いたくなる映画は傑作かも論」で書いたやつです)、さらに僕の仮説ではそれが落語の魅力にもつながっているのではとなる。それ故のテーマだったのだが、そういう前提も含めてすべては聴き手である僕の都合みたいなもので、落語のプロモーションインタビューでなぜに傑作の条件について話さなあかんねんと感じる人もいるはずだ。でも、鶴瓶さんは絶対にそんなことは言わない。ちゃんと聞いてちゃんと答えてくれる。このこと自体がもうやさしい▼では、テレビに映っている鶴瓶さんとちょっぴり違うことはなにか? それは、ちゃんと怖いということだ。鶴瓶さんの同業者である芸人さんたちが言う「笑顔だけど目が笑ってない」という瞬間を、この9年間で何度か感じたことがあった。〝家族に乾杯〟などでの好々爺だけではない、ちゃんと怖い鶴瓶さんをちょっとだけ、いわばチラ見させてもらっているのだと思う▼さて、最後に誑された話です。ある時、鶴瓶さんのマネージャーのUくんから電話が入る。聞けば鶴瓶さんが僕に電話をくれと言っているらしい。ちょうど朝日新聞の記事が世に出たタイミングだったから、頭の中をこんな矢印が瞬間的に駆け巡った。いままでこんなことなかったぞ→なんだろう?→もしかしたらもしかして?→怒られるってこと!とビビりながら電話すると鶴瓶さんは「今日、マッサージに行ってな」といつものトーンでしゃべり始めた。どうやら怒ってはいないようだ。マッサージ店の施術担当の方が朝日新聞の記事を読んでくれたようで「鶴瓶さん、いいこと言うね」と褒めてくれたと。鶴瓶さんが、どれどれとその記事を読んだら言ったことをまったく覚えていなかった。「しゃべったはずの俺が忘れている。でも、読んだ俺がグッとくる。そういうのが本物のインタビューやと思う」。そう言うと鶴瓶さんはあっさりと電話を切った▼別にマネージャーさんに伝えれば済むことなのに、わざわざ鶴瓶さん自身が手間をかけてくれて、しかも、トドメの言葉がインタビュアーにとっての超絶パンチラインだった日には、誑されないライターなんているわけがない。僕もそう。たぶん、2ミリぐらい浮遊していたほどにうれしかった▼そんな鶴瓶さんのオリジナル話芸である鶴瓶噺は、ある意味でのドキュメント話芸で、ライブがはねた翌日から次の年のライブを迎える前日までの丸1年間に起きた出来事を〝盛らず〟にしゃべり倒すというもの。その話芸を支えているのが毎日残し続けているメモで、あれだけの立場の人が日々の努力を積み重ねているということを、そのインタビューで知った▼だから、このホームページが始まるときに、自分なりに積み重ねられるよう、最低でも週に1本はなにかを書こうと決めた。盛らない、本当にあったことを書く、というのも鶴瓶噺の影響だ▼さて、鶴瓶さんのことを文字にできたことで妙な達成感があるけれど、肝心の朝日新聞の原稿はまだひと文字も書けちゃいない。焦るぜ、俺。締め切りは月曜日。頑張れ、俺(唐澤和也)