からの週末20200821(金)
9年間務めた編集長を卒業しましたが、誰からも労われておりません(笑)
▼2011年の創刊から9年、最新号で115号。途中から増刊号もあったから、単純な号数自体はもうちょっとあるのかな。とにかくまぁ、今月17日に更新された「JOINな8月」という特集にて、月刊LOGOS編集長を卒業することになりました。最初の頃は、LOGOS担当のGくんから「編集長!」と呼ばれるたびに、「ヘンシューチョー」とカタカナで聞こえて、バブルの頃の「シャッチョーサン(社長さん)」みたく、バカにされている気がしてならなかったけど、やらせてもらえて本当によかった。チョー=長たるもののなんたるかってやつが、いや、まだよくわかっていないけど、たとえば2、3年で編集長業務が終わっていたらと想像すると、少しはわかったような気がする▼ただ、びっくりなことに誰からも「お疲れ様」的なことを言われてないことに書きながら気づいて、二度びっくりだ。もちろん、花束的なものなんて1輪どころか1花ビラも届いていないし、いくら自粛ムードとはいえ乾杯的なお誘いも一切なし。9年間なのに一切なし(笑)。逆にちょっとおもしろいけど、お疲れ様でした、俺▼経験してみてよかったことのひとつに、チョー=長にもいろんな人がいるし、いていいよなぁと思えたこと。長をやっているからこそ入ってくる長情報みたいなものがやっぱりあって、自分にできないやり方をしている人の情報を知るとすげぇ!と同業者だからこそ素直に思えたりもした▼自分がどんなタイプの長かはよくわかんないけど、たぶん中学生の頃と全然変わってないんじゃないかなぁと思う。人生初長が、中学3年生の時の長距離継走部(いまでいう駅伝部)のキャプテンだった。部活動とはいえ、各運動部から長距離走の早い奴が寄せ集められた選抜チームで、野球部だった僕はその選抜を断る権利はなかった。昭和っぽいなぁと思うけど、同じように選抜された野球部の1個上の先輩がめちゃくちゃおっかない人で、気合の入った坊主頭(野球部は全員これ)で、よくそこまで吊り上がりますねぇって角度であげられた眉毛で「入るよな?」とすごまれたら「はい!」と答えるしかなかった。先輩からすると、1年前に自分がやらされたえげつなくキツい練習を後輩がしないなんてことが耐えられなかったんだと思う▼そんな長距離継走部は、よく練習する部活だった。朝、暗いうちから練習。いっぱい走る。その練習終わりに野球部の練習があり(いっぱい走る野球部だった)、授業が終わって野球部の練習、それが終わって暗くなっても長距離継走部の練習。いっぱい走った▼市内大会、東三河大会、全三河大会、そして県大会というグレードがあるのだけれど、クリスマスの頃に開催される県大会では、バスに乗って遠征だっつって、本会場で試走とかしてた。よく覚えてないけど授業も免除で受けなくてよかった気がする。私立の学校だったらまだしも、ふつうの公立の中学校だったのに、いま振り返ると不思議だ▼そんなわけで、我が母校である愛知県豊川市立中部中学校長距離継走部は、けっこうな強豪校だったりした。そりゃそうだ。あんだけ練習して弱かったら、誇れるのはMっ気だけのダメな趣味だ。僕が1年生の時の先輩たちが県大会4位、2年生の時は5位とかだったと思う。6位までが入賞とされるのだけれど、僕たちが3年生になった年で、6年連続県大会入賞がかかっていたという強豪校っぷり▼そんなタイミングで人生初長である。僕が1年の時の3年の早川先輩も、僕が2年の時の3年の古河先輩も陸上部からの選抜だった。いわば、長距離継走部内の主流でありエリートだった。なのに、野球部の僕がキャプテンになれと顧問の先生は突然言う。しかも、野球部だろうが僕が部員内で一番速いのだったらわかるのだけれど、3年のレギュラーメンバー6人中5位とか6位で、なんだったらひとつ下の平松くんという小学生の頃から県内でも有名な化け物ランナーにも負ける程度の走力だった。なのになぜ?▼その理由はわからないけど、なにせ昭和ですから。強豪校の顧問の先生なんて怖いに決まってますから。言われるがままに長となったのだけれど、自分が一番なんて意識がサラサラなかったのがよかったのだと思う。なんかしんないけど、チームにまとまりがあって、いわゆるチームワークってやつが抜群によかった▼あと、運がよかった。県大会は学年不問の8人で1チームを組むのだけれど、毎年3年生が6人で2年生が2人という構成だった。ふつうの年ならば、2年生の走力がどうしても落ちるけど、僕らの代には先述の化け物平松くんがいた。結果、6年連続県大会入賞はもちろん、母校初となる県大会優勝を達成する▼だから、月刊LOGOSのほうの長もそんな感じでした。なにせ、アウトドアのことを知らない身なので、自分が一番とかえらいだなんて思いようがない。それでまた運だけはいいもんだから、人に恵まれるわ、時代に恵まれるわ(この9年間でアウトドアははっきりとブームになった)で、いやはや楽しい経験でした▼さてさて、次はなにをしよう。コップの水は中身がなくなってはじめて新しいものが注がれるなんてことを言う人がいるけど、我らがパンチラインはどうなんでしょう。運だけはいい僕のこと。このタイミングでこのホームページ宛に、はじめての仕事のオファーメールがきたら笑うなぁと思い確認すると、なんと! 届いていました、アマゾンの暗証番号がどうたらこうたらというスパムメールが。最後にいまの気持ちをカタカナでまとめますね。ギャフン!(唐澤和也)