20231117(金)
憧れのバッタリ大人力

▼「バッタリ大人力」とは、芸人・千原ジュニアさんの造語。ジュニアさんは関根勤さんを絶賛しつつ、その言葉のなんたるかを説明しており、「バッタリ会ったとは思えぬ会話の妙でこちらの気分をよくしてくれる人・あるいはその会話力のこと」のようです。動画等にも上がっているけれど、個人的にははじめてその言葉を目にして感銘を受けたのは、ジュニアさんの雑誌での連載でした。なぜ、感銘を受けたのか。自分自身が赤点レベルで「バッタリ大人力」が低いからです▼夏のような秋がようやく終わりを告げ、さりとて、秋らしい秋をすっとばして冬のような秋へと移ろった先日。季節の変わり目のせいか、電車の乗り換えを間違えてしまいます。それも2回。いくら季節の変わり目とはいえ2回はひどい。ただの注意力散漫野郎です。とはいえ、東京はこういう時の乗り換えが異常に便利で、同じホームに上りと下りが乗り入れしているので、「あ、間違えた」「ま、いっか」と乗ったままでしばらくやりすごして「次の駅で降りる」「ホームの逆の電車を待って乗る」を繰り返せば労せずして目的地へ。その時も(あと1回乗り換えればOK)と内心でほくそ笑んでいたら、突然に電車内の空気が変わったのでした▼空気、別名、雰囲気。かつて、似たような経験があったことを思いだします。地元のカフェで友人と雑談をしていたら、ドアがあいた瞬間に変わったお店の空気。何気なく入口のほうを見ると、なんと女優の綾瀬はるかさんだったのでした。ふつうのカフェにふつうに現れた彼女。その時までは、オーラという言葉が嫌いで(そんなもん見えたり感じたりできるわけないじゃん!)と小馬鹿にすらしていたのですが、彼女のオーラはすさまじかった。店にいた客ほぼ全員が、綾瀬はるかだと気づく前に同時に振り返っていたほどに▼もちろん、平日のわりと混んでいる電車の雰囲気を変えたのは、綾瀬はるかさんではありません。4人の家族連れでした。母親の近くに4歳ぐらいのお姉ちゃん、父親が押すベビーカーには生まれたばかりのたぶん男の子。奥さんとお姉ちゃんは電車に入った時から笑っていて、それにつられるかのようにふんわりとする電車内の空気。そして、ベビーカーの(たぶん)男の子がつぶらな瞳でこちらを見つめてくるのでした▼その日の僕は注意力散漫野郎でしたが、日常的には強面野郎でもあります。なのにその子は、怖がりもせずじぃっと見つめてくる。この若さにして、人は見かけじゃないということをわかってるんだなと、強面は崩すことなく内心で大喜びしていたのでした▼そんな(たぶん)男の子の両親も仲睦まじく、母親から始まるこんな会話が耳に届きます。「急に寒くなったね」「ね。沖縄だったら真冬だよ」。いい空気感そのままの会話だったのに、沖縄という単語と、その地方独特のイントネーションのせいで、脳内に「?」という疑問符のフラグが立つ僕。もしかして、大くん? はじめてその家族の父親の顔を見た僕。大くんでした。よき空気感の家族の父は、いまから15年ほど前によく遊んでいた年下の友達だったのです。武蔵小山という街に住んでいた頃のこと。ある店で三線ナイトというイベントがあり(三線は沖縄の楽器。その演奏を聞きながらなぜか焼き肉を食べるというちょっと変わった夜でした)、東京で聞くその音色が懐かしくて、沖縄の友達とふたりでふらりと来店したのが大くんだったのです。でもでも、とはいえ15年です。間違っていたらどうしようとも思いましたが、どうせ電車の乗り換えを2回も間違えているんだしと、ひとつ呼吸を置いてから「人違いだったらすみません。大くん?」と話しかけたのでした。「おー、唐澤さん! お久しぶりです!」と大くん。本当に本物の大くんでした。2回も電車の乗り換えを間違えたせいで叶った、15年ぶりの再会▼「言ってなかったっけ? 武蔵小山に住んでた時、俺はぜんぜん金なかったんだけど、その時にごはんをごちそうになったり、めちゃめちゃお世話になった唐澤さん」と奥さんに紹介してくれる大くん。「はじめまして」とありきたりな挨拶をする僕。すると、奥さんが言ったのです。「ありがとうございます。そのおかげで生きてます」。脳内に立つ「!」という感動のフラグ。これぞ、バッタリ大人力ってやつです。バッタリで、しかも初対面なのに、こんな素敵な挨拶ができる人がこの世にいるとは。もはや憧れることすらはばかれる、素晴らしきバッタリ大人力だったのでした▼うれしかったのは、大くんが15年ほど前からの夢だった自分のお店を持てていたこと。しかも、沖縄と東京に2店舗。「沖縄にも」というのが昔からの彼の夢だったことを覚えていたので、他人事なのに感無量でした。偶然にも降りる駅が同じだったので、別れしなに忘年会で会おうと約束すると、おねちゃーんが手を振りながらこんな言葉を口にしたのでした。「またねー!」。はじめて会ったのにまたねって。うれしいにもほどがありました。このやりとりもまた、素晴らしきバッタリ大人力(彼女はまだ子供だけど)だったのでした(唐澤和也)