からの週末20220605(日)
標高1860メートルのテント泊

▼いちいち数えたら億を超えるんじゃないかという数の星が、私の頭上で特別に咲いてくれた花のようにきらめいている。ここは、長野県伊那市の鹿嶺高原キャンプ場。「こころを空に。」というコピーに偽りなしなのは、同キャンプ場が標高1800メートルの高所にあって、それはもう絶景を堪能できるから。高所から眺める夕景は美しいだけでなく、長い。19時でも夕焼けが余裕で楽しめた。とはいえ、6月といえど、陽が落ちたあとの標高1800メートルは一気に冷え込む▼アウトドアでの寒暖差をナメてはいけない。振り返れば、10年以上前の人生初キャンプはナメにナメてナメぬいていた。「ゴールデンウィークってもはや初夏でしょ?」とたかをくくり、富士山の裾野のキャンプ場ではテントが凍るほどに冷え込むことを知らなかった。無知は怖い。寝袋の温度帯も寒さに対応できないもので、重ね着できるウエアの準備もせず、結果、寒すぎて一睡もできないという憂き目を味わうことになる。あれから10年とちょっと。既知は強い。6月というのにヒートテック的なものの上下とフリースと中綿入りのアウターまでを用意し、寝袋はマイナス温度帯対応のあったかいものを準備してもらっていた。おまけに、携帯の電波はやや不調だったが、念のために持参したドコモのルーターのおかげで、ダゾーンのプロ野球中継もバッチリ動画で見られる。完璧だった。最後のは寒さ対策じゃなくて、ようやく本来の力を発揮しだした阪神対策だけれども▼今週最大のイベントは、なんといってもこの標高1860メートルでのテント泊だった。といっても、いままさに進めている、四万十だ小笠原だのの旅もの企画ではなく、「絶景キャンプ」をコンセプトに家族モデルにも登場していただく、広告的ポスター撮影。ビジュアル担当スタッフで打ち合わせを重ね、絶景キャンプ場を求めてロケハンし、「ここしかない!」と一同が気に入ったのが、鹿嶺高原キャンプ場だった。スタッフの方の対応も超協力的で、撮影のために特別な場所にテントを建てることが許される。何回聞いても覚えられず申し訳なかったけれど、北アルプスか中央アルプスか、もしくはそれ以外だけれどめちゃめちゃに美しい山々の稜線が〝絶景〟として眺められる場所。撮影として狙うのは、朝の光。ならばと、撮影前日の日中にテントなどの主要アイテムのセッティングを済ませ、早朝に家族モデルが来てくれたら、朝の素晴らしき光で即撮影ができる体制を整えた。いわゆる前のりである▼その撮影場所は標高1800メートルのキャンプ場より、さらに高所にあった。標高でいば、1860メートル。たかが60メートル、されど60メートル。この60メートルってやつが曲者で、クルマでは登っていくことができない。ということは、ですよ。崖、とまではいかないけれど、そこそこの傾斜がある山道を、テントほかの撮影アイテムを手分けして運ばなければならない。ほかならぬ人力で。少しでも楽になるよう、持ち運び用にカートを3台用意したが、重さと傾斜のダブルパンチで、そのうちの1台のタイヤが壊れた▼というわけで、1860メートルの高所でのテント泊。早めの夕食を済ませ、夜の9時前には解散となり、私はひとりで1860メートルにいた。絶景といっても、真っ暗なので、当然ながら視線の先に山々は見えやしない。うむうむ、なるほど、そりゃそうだ。ならばと、一番高い星空をめでたあとで、そそくさとテントの中のシュラフに潜り込んだ。絶景終了、阪神開始。試合は5対4と接戦だった。かろうじて阪神が1点リードをしているが、なにせ今年の阪神は弱いのでハラハラしていると突然に睡魔が襲ってきた。ハラハラなのにウトウトはおかしい。時節柄、アルコールを控える現場のルールだったため、ノンアルコールのビールやチューハイだけなので酔ってもいない。そこそこの傾斜での作業に疲れ果てていたのだろうか▼ま、いっか。阪神の勝利を信じつつ、明日は4時起きだし寝てしまおうと思ったその時、耳元に響いてきたのが、カン、カン、カン、カン……という金属音。ダゾーンの放送で阪神ファンがなにかを叩いている音かなぁと音量を絞ってみる。カン、カン、カン、カン……。それでも消えずに、たしかに聞こえてくる金属音。あらやだ怖い。真夜中の1860メートルのカン、カン、カン、カン……は怖い。とりあえず、無かったことにしようとダゾーンのボリュームをあげるとカン、カン、カン、カン……が鳴りやんだ。ダゾーンをオフってみると無音が続く。でも、しばらくすると、カン、カン、カン、カン……との金属音が復活した。なるほどなるほど、そういうことだったのねと私は胸をなでおろした。テントを建てたすぐそばには、絶景が見渡せる展望台があった。あのカン、カン、カン、カン……は、その展望台の金属製の階段を登る音だったのだ。星空を楽しみに来た方、むしろ、すみません。真っ暗な高所に建てられたテントから突然にプロ野球中継が聞こえてきたら、そりゃあ一瞬身構えますよね。それがあの一瞬の間だったんですよね。驚かせてすみませんでした▼はたして、翌日の撮影は天候にも恵まれて絶好調だった。そして、阪神も5対4のまま逃げ切ったのでした(唐澤和也)