からの週末20210418(日)
漫画家と編集者の打ち合わせの隣りが苦手です
▼漫画家と編集者の打ち合わせが苦手だ。正確にいうと、漫画家と編集者の打ち合わせの席の隣りなるのが苦手だ▼10年ほど前までの雑誌ライター時代は、ジャンプの集英社とスピリッツの小学館がある神保町に通い詰めていたので、この街の喫茶店でわりと頻繁にそういう場面に遭遇した。漫画編集部で記事ものの打ち合わせをしている時に、隣りのブースで漫画家と編集者が打ち合わせしていたこともある。子供の頃からの漫画好きなもので、漫画のプロ同士の会話が気になって気になって、自分の打ち合わせそっちのけで耳が持っていかれてしまっていたのだけれど、苦手だったのは若手漫画家が編集者からコテンパンにダメ出しされるパターンだった▼森羅万象ありとあらゆるものがハラスメント対象にされつつあるいまの時代と違って、当時は漫画編集者のマウントの取り方がそれはもうひどい場合もあったのだった。若手漫画家がサンドバッグだとすると、もはや叩くところがないほどにボコボコにされていた▼もちろん、編集者による愛の鞭的な場合もあっただろう。その編集者の的確なダメ出しのおかげで人気作家になった人がいたのかもしれない。それでも、当時の僕の共感の矢印は若手漫画家に向けられていた。同情といってもいい。ライターという立場も編集者からダメ出しを受ける立場だったからだとは思うが、それにしたってたまたま席が隣りになっただけの真っ赤な他人。余計なお世話ではある▼さて、自分のライター人生で受けた最大のダメ出しはといえば、映画原作のノベライズ仕事の時だった。ノベライズという仕事にとくに興味があったわけではなく、信頼している編集Aさんからの仕事だったから快諾した。つまり、わりと受け身で始まった仕事だったが、Aさんとのやりとりがおもしろくて、打ち合わせを重ねるうちに書き手として徐々にテンションがあがっていった。当時の原稿を探してみると、原作である映画のタイトルが付けられたフォルダに18個ものファイルが残っている。それぞれのファイル名末尾に、1月23日、1月25日、1月26日などとあり、ほぼ毎日書いてはブラッシュアップしていったようだ▼そんな日付が、2月6日から5月8日へと突然にとぶというブランクがあった。ブランクの理由は書くのをサボっていたからじゃない。怒られたのだ。映画のプロデューサーと脚本家に呼び出されたテレビ局でだった。Aさんとふたりで「こうしよう」「ああしよう」とキャッキャ言って盛り上がったノベライズならではのエピソードを「こうするな!」「ああするな!」と、ことごとく叱責された。脚本を担当された方は、怒りでちょっと震えてさえいたと思う▼いま振り返ると申し訳ないにもほどがあるが、そのテレビ局を出たあとで僕らは大笑いした。「怒られちゃいましたね?」「怒られたなぁ」。ただそれだけのやりとりにひとしきり笑ったあとで、僕らはどちからともなくくぐった暖簾の先で飲んだ。つまみはダメ出しという名の罵詈雑言の数々。さっき怒られたばかりなのに、ずっと笑っていた気がする▼いい歳をした大人ふたりがああも一方的に怒られたというのに、なぜヘコまずに笑っていられたのか。大前提として、ノベライズという仕事なわけで、大切なのは映画の脚本なのだから僕らが受けたダメ出しが正解だったのだろう。僕らの仕事は不正解だったのだ。それでも揺るがなかったのは、書き物としてのおもしろさならばAさんとふたりで作ったものも悪くないはずだという妙な確信。だからこそ、ごまかしでも慰めでもなく、ふたりで同じ温度で笑えたのだと思う▼ふたりというのもよかった。もし、テレビ局に呼び出されたのがひとりだったとしたら、想像しただけでもゾッとする。編集者という名の共犯者がいたということ。そう考えると、漫画家と編集者の打ち合わせに遭遇するのが苦手なのは、かつて隣りあわせた彼らの多くが、共犯関係ではなく対立関係にみえてしまっていたからなのかもしれない▼そして、今週。打ち合わせのために訪れたとある街の喫茶店で、漫画家と編集者の打ち合わせの席の隣りになってしまった。神保町じゃないのになぜ? そして蘇る、漫画の街でのサンドバック状態の悪夢。けれど、時代の変化なのかふたりの相性のよさなのか、お互いに言いたいことは言っていたが、漫画をおもしろくするための打ち合わせで、いたたまれなくなることもなくホッとした。その漫画家にとっての編集者が素晴らしき共犯者でありますように。余計なお世話だけれど(唐澤和也)